行く秋と思へば白き風の音

早いようですがやっと今日の日がやってきました。秋は思いのほか過去に詠んでいる句が少なくて、このブログを書き続けるのに苦労しました。明日から冬の句になりますので、またしばらくは大丈夫です。一日一句のなんと難しいことよ、、、。(2013年秋詠)

晩秋の日差の中の部屋埃

気が付くと南側のガラス戸から斜めに入った午後の日差が机の下にまで到達している。こんなにも太陽は低くなったのかと感慨に浸りながらガラス戸のほうを見ると途端に現実に引き戻される。光の中を部屋の埃がまるで綿虫かなにかのように浮遊している。ずいぶん長い間掃除機もかけていないような気がする、、、。(2011年秋詠)

お役所を巡りて釣瓶落しかな

いよいよ日暮が早くなって来ましたね。掲句は母が亡くなった年の秋、後の手続きに役所巡りをしたときの句です。津山を出発して、高梁、総社の市役所へ、その途中で実家へも寄ったりして、手続きが終わって外に出るともう夕暮、役所の手続きは難しい、、、。(2011年秋詠)

山上の三角点や鳥渡る

子どもの頃、その辺りで一番高い山の上に三角点があると聞いて、いつか見に行こうと思っていたが、結局その山には登らないうちに故郷を離れてしまった。初めて三角点を見たのは、学生時代に部活仲間と登った那岐山の山頂だった。これが見たかった三角点かと思ったが、それよりも山頂からの眺めのほうがすばらしく、見たという記憶だけが残った。その後も何箇所かで三角点を見たが、どこも山上の見晴らしの良い場所だった。鳥はそれよりもはるかに高いところを渡って行くのだからすごいものだと思う、、、。(2011年秋詠)

秋夕日一人になれば肩落し

今はそんな事もないのですが、勤めていた頃はそれなりに努力はしていましたし、緊張もしていました。それが、仕事が終わり一人取り残されて夕日を見たりすると、ふっと力が抜けるのです。今は力が抜けどおし、、、。(2010年秋詠)

出払ひしいつも鳴く犬山椒の実

曲がり角のお家の柴犬、通るたびに吠えるので、いつの間にかそれに慣れっこになって、こちらも適当にあしらっていた。それがある朝、声が聞こえず姿が見えない。そうなると寂しいもので、塀の中をあちこち眺めたが犬の姿はなく、代わりに山椒の木に色づいた実を見つけた。今まで犬に気を取られて気づかなかったのだろうと思いながら角を曲がると、向うから来る飼い主に連れられたその犬に出会った。どうやら外ではおとなしいらしく、済ました顔をして通り過ぎていった、、、。(2010年秋詠)

窓あけて雀翔たせる秋日和

追い払うつもりはありませんが、窓の外の屋根の上があまりに賑やかなもんで、つい開けてみたくなるのです。開けると一斉に羽音と声がして、飛び去って行きます。後に残るのは暖かい秋の日差です。再び閉めておくと、また三々五々、声が増えて来ますが、そう何度も開けてみるようなことはいたしません、、、。(2013年秋詠)

秋時雨来るたび庭師車へと

あれ、もう北風だ、と思ったら「木枯一号」だったらしい。一転して今朝は澄んだ空に朝日が輝いている。風は無いが、ちょっと寒い。庭を見るとたくさんの落葉、とうぶんは日々の仕事に困らない、、、。掲句はまだ現役の頃、会社でお願いしていた植栽の管理、自分たちの車のほうが居心地が良いのだろう、雨が降り出すたびに車の中へ、、、。(2010年秋詠)

柿もぐや夕日冷たく手の中に

今年も西条柿は不作、三個だけが熟れています。少ないので吊るし柿にはなあ、と思いながら眺めているうちに、もう熟柿になりかけているような色です。富有柿のほうは今年は剪定のかいあって、数はほどほどに生っていますが、毛虫が多かったからでしょうか、出来はもう一つの感じです。まあ、どちらも主と同じで老木ですからねえ、、、。(2013年秋詠)