人逝くもひとつの話題春炬燵

久しぶりに田舎へ帰り墓参りをしてきた。父が亡くなったのは春のお彼岸、母が亡くなったのは秋のお彼岸、と、無精者の息子を気遣ってのことかどうか、いろいろ纏めて済ませてきた。掲句、まだ父母とも元気だった頃、久しぶりに帰ったの実家の春炬燵で、父ととりとめのない話で時間をすごした時の句。どこそこの誰それが、、、と、聞き覚えのある人の訃報に相槌を打ちながら聞いたものだが、数年後にはその父がその「どこそこの誰それ」になってしまった、、、。(1999年春詠)

野火あとの看板残るひみつきち

散歩の途中の家並から少し離れた田圃の中に、古びた売土地の看板に蔦の絡まった草ぼうぼうの空地があった。その空地に掲句の少し前あたりから男の子たちの声がするようになった。草に隠れて姿は見えないが、なにやらガラクタの類が置いてあり、にぎやかな声がする。そんなことが一週間ほど続いただろうか、ある日通りかかるとその空地がすっかり焼け野原になっていた。もちろん子どもの姿は無く、溶けて原型をとどめていないガラクタが数個転がっていた。看板も下半分ぐらいが焼けていた。何となく看板の裏を覗くと、平仮名で書いた「ひみつきち」の文字が焼けずに残っていた、、、。(2013年春詠)

トンネルの中が県境山笑ふ

掲句、出張で中国自動車道を岡山県から兵庫県へと越える県境のトンネルでの句です。昔、幻の国道と言われた180号線の県境を、自転車で越えたことがあります。地図には書かれているのに峠のふもとで道が消え、後は自転車を押しての、夕立と雷鳴の中を草を掻き分けての峠越えでした。旅に出た初日のひどい話ですが、今となっては青春の懐かしい思い出です、、、。今はどうなっているのだろうとネットで見ると、迂回路と明地トンネルという立派なトンネルが出来ているようでした、、、。(2001年春詠)

遠山にまだ白きもの揚雲雀

日々の散歩コースから中国山地の山並が遠くに見える。その山並が白くなることで冬の訪れを知るが、春までその状態が続くわけではない。白くなったり消えたりを繰り返し、気がつけば白く見える日がなくなっている。たまに寒い朝があり白いこともあるが、同じ白でもそこには冬に入るときの厳しさはなく、どことなく山並全体が丸みを持っているように見える。見るほうの心の持ちようかも知れないし、晴れた空を満喫している雲雀の声のせいなのかも知れない、、、。(2013年春詠)

小股にて下る急坂春時雨

怪しくなってきたなあ、と思っていたら急に降ってきた。あわてて吟行を切り上げて公園の坂を下る。舗装のない坂道は何となくすべりそうで自然と小股になってしまう。全員同じような足取りで坂道を下った。その足取りばかりが記憶にあって、傘を持っていたかどうか、そこの所が記憶にない。早島公園での句、、、。(2012年春詠)

まんさくやダム湖に注ぐ川いくつ

ダム湖の水量が減り、周囲に土の色があらわになってくると、そこに多くの水跡が見えてくる。そのそれぞれがかつての小川だったのだろう。いったい幾つの川があったのだろうか。二本が一本になり、また一本が加わり、しだいに太くなった川辺に村が出来、人々のささやかな営みがあったのだろう。その全てを飲み込んで今ここに一枚の湖面がある。そんなことを考えながら国道429号線を走っていたときの句、、、。(2013年春詠)

男の背乗せ春耕のトラクター

それだけ集中していると言うことだろうか。トラクターの運転席でひたすら前を向いて進んでいる男の後姿には人生を感じさせるものがある。仕事をしていた頃は休日や平日の会社帰りに暗くなるまで続くトラクターの音に、田圃が無くて良かったと思ったものだった。それがどうだ、今では散歩の途中で見かけるトラクターに乗った同世代の人の後姿を羨ましく思うようになってしまった、、、。(2013年春詠)