大川に垂れて水漬ける藤の花

散歩に行く吉井川の河川敷公園の水辺に、たぶん工事の際に土の中に混じっていたのだろう、山藤の蔓が育ち、立ち上がるには支えが無いので、ちょうど葛が地を這うような形で、斜面を覆っている。年毎に大きくなり、今では結構見ごたえのある状態にまで育ち、満開の花の側を通ると咽るような香に包まれる。ちょうど川幅いっぱいに水がある場所なので、花は水の中にも垂れ、流にゆれている、、、。(2014年春詠)

七人の小人でさうな蕗の下

記憶に残る本の中に、子供の時に図書館で借りたコロボックルの本があります。物語の内容は覚えていないのですが、日本にいる小人の話で、ずいぶん夢心をかきたてられた記憶があります。その記憶がこの句の下地で、大きく茂った蕗の葉を見ると今でも小人のことが頭をよぎるのです。それでさっきコロボックルについて調べてみたら、アイヌ語で「蕗の葉の下の人」という意味と書かれていた、、、。(2014年春詠)

間延びして春の汽笛の木霊かな

間延びして聞こえるのは気のせいかなあ、いやいや湿気のせいかも知れないなあ。軟らかく聞こえるのは明らかに湿気のせいだろうね。なんて事を考えながら、朝の吉井川の堤防を歩いています。雑音の少ない朝の木霊はずいぶん長く続きます、、、。(2013年春詠)

花水木老犬すでに夢の中

今年は満足に桜を見ない内に季節が移り、もう花水木の季節になりました。ハナミズキは、最近は街路樹に使われることも多く、すっかり桜の後の定位置を確保しています。待てよ、ハナミズキって昔は無かったような気がするなあ、と思って調べてみたら、1912年に東京からワシントンに送られた桜への返礼として、1915年に日本に渡って来たのが最初のようです。だから別名をアメリカヤマボウシと言うのでしょう。今年でちょうど百年、ポトマック川の河畔に根付いた桜と、日本中に広まったハナミズキ、定位置を確保するだけの縁があった訳でした、、、。(2013年春詠)

つばくらや屋根の重なる坂の街

少し見る位置が高くなるだけで普段とはずいぶん違った風景が見えるものですね。掲句は津山城東の千光寺の山門での句です。倉敷の阿智神社から眺めた屋根の風景も好きですが、それとは少し違った雰囲気です、、、。(2014年春詠)

作州の盆地ぐるりと遠霞

作州は山国だからどこへ行っても盆地のようなものですが、その中央に位置するのが津山盆地になります。そのまた中央の南よりぐらいが今住んでいる辺りだろうと思います。だからもちろん四方は山ですが、山までは遠く結構広いのです。その四方の山々に霞がかかっている晩春、暖かくて霞の中央に居る私の頭の中にも霞がかかっている、、、。(2014年春詠)

頬白の一筆啓上葉隠に

昨年の津山吟行での句です。頬白は歳時記によって秋に入れられたり春に入れられたり、中には春秋両方に入れられています。私は春のほうが合っていると思うのですが、なぜだろう?と常々疑問に思っていたところ、山本健吉の「ことばの歳時記」の「囀」の項に、その理由らしきことが書かれていました。長くなるので書きませんが、興味がある方は読んでみてください。山本健吉がいろいろな所に書いた文章をまとめた本です。ちなみに上記「囀」は(電信電話 昭和43年3月)と書かれています、、、。(2014年春詠)