生まれたての小さなカマキリは可愛いが、10Cmを越すようになると、ちょっと引いてしまう。顔つきもあるが、あのギザギザの付いた前足は、いかにも武器といった感じがする。蟹の爪やクワガタの前足はもっと鋭いが、どちらも掴めば絶対大丈夫な部分がある。ところがカマキリにはそれが見当たらない。どの方向から手を出しても、あの鋭い鎌が襲ってきそうな気がする。(1999年秋詠)
カテゴリー: 1999
故郷に海在らざりし小豆干す
笊に入れた小豆を転がすと海の音がする。小学校の学芸会の演劇で使った効果音はこれだった。昔はラジオや映画での効果音も、笊ではないが似たようなものが使われていたらしい。山の中で育ち、本物の海の音なんて聴いた記憶は無かったから、ラジオや映画であこがれつつ聴いていた海の音は、ほとんどがこれだったのではないだろうかと、今更ながらそう思う。(1999年秋詠)
開け放つ夜学の窓に教師の背
レストランの窓際の席からは、道路を挟んで、進学塾のある小さなビルが見えた。一階はすでに灯りが落され、端っこに狭い二階への階段が口を開けていた。周辺には所狭しと自転車が止めてある。二階の開け放った窓には、煌々と灯る灯りの中で、机に向かう生徒たちの頭が並んでいた。時折教師らしい男の姿が現れ、後ろ向きに窓にもたれかかるような姿勢をし、しばらくするとまた明りの中へ消えて行くのだった。(1999年秋詠)
端居して父と語りし後のこと
父は昔から煎茶が好きでした。私も嫌いではないので、若い時から、誘われれば相手をしました。父が話をしながら淹れてくれるのを待って、私はひたすら飲むだけの係でした。後の事が話題になったかと言えば、決してそんなことはなく、そういう話をしない間に父は死んでしまいました。わかっていれば父だって話したでしょうが、後悔先に立たずです。僅かに聞いた話の切れ端が、あまりにも短いのです。(1999年夏詠)
父に借る父のにほひの夏帽子
大して役に立つわけではありませんが、時には田舎へ帰り、親孝行の真似事をしたこともあります。もともと帽子はあまり被らないので、無くても平気なのですが、母の出してくれる、父の一張羅の麦藁帽子を、素直に被りました。これも親孝行かと、、、。(1999年夏詠)
夏帽の庇大きく田に動く
昔はそこらじゅうで見かけた風景ですが、少なくなりましたね。農薬の進歩なのでしょうか。それでも熱心な方は田んぼに入られています。手入れの行き届いた青々とした風景は気持ちのよいものですね。(1999年夏詠)
白南風やからから回る土竜除け
白南風も黒南風も海が近いところの風と思いますが、海から遠く離れていても気分としては白南風や黒南風を感じられるのです。そして好きな季語でもあります。それがこういう句になりましたが、海に近い方どうでしょうか。明るい日差の中、強くもなく弱くもなく吹き続ける風、畑には土竜除けのペットボトルで作った風車が数本、カラカラ、カラカラと鳴り続けている。(1999年夏詠)
降りさうで降らぬまま暮れ半夏生
二十四節気七十二候のうち、夏至の三候。早く言えば半分夏の頃で、中途半端な私にはピッタリの季語かも知れない、なんて思いながら詠んだ初心の頃の句。おりしも梅雨明には間のある空もどんよりと中途半端でした。作った頃は仮名遣いも中途半端でしたが、それがここにあります。旧仮名にしておけばよかったと、今更ながら思うのですが、そうそうたる俳人の中に混ぜて頂くって、気持ちいいものですね。(1999年夏詠)
凌霄の遠目に暮るる里の家
凌霄花は農家の庭先によく似合う。これも通勤途中にあるお宅。不要になった電信柱に凌霄花を登らせ、登りきった凌霄花がさらに枝を張り、まるで一本の木のように丸ごと花に覆われた姿は圧巻だった。凌霄花を知ったのは俳句を始めてからだが、知ってからは毎年このお宅の凌霄花を楽しみにしていた。(1999年夏詠)
若竹や生れてよりの縦社会
学生時代の授業で「縦社会の人間関係」(中根千枝)を知り、結局読まなかったと思うが、「縦社会」という言葉は以後の私の人生の、多くの場面に顔を出すこととなった。(1999年夏詠)