秋燕空高ければ高く飛ぶ

現住所に住み始めた頃のこと、道路を隔てて大きなとうもろこし畑がありました。酪農の飼料用のとうもろこしです。夕方会社から帰ると、その畑に何百という燕が集まって騒いでいるのです。それぞれのとうもろこしの木に、撓むほどの燕が止まっています。まだ空を舞っている集団もあります。おしゃべりと羽音と、その日は夜遅くまで賑やかでした。それが翌朝には跡形も無く(とうもろこしには白い糞の跡がありましたが)居なくなっているのです。南に帰る燕のお宿だったのですね。そんな日が二三日続きました、、、。二年ほどして酪農を辞められて、とうもろこし畑は無くなってしまいました。燕のお宿も変わったのでしょう、同じような光景を見ることはなくなりました、、、。(1999年秋詠)

急カーブ突然秋の海がある

八月も終りに近づくと、いつも焦燥感にとらわれていた。何がやりたかった訳でもない。やらなければならない事があった訳でもない。なのに、焦燥感にとらわれてどうしようもなかった。そんな日々に終止符を打ち、覚悟を決めて夏合宿に出かけるのがこの頃であった、、、。掲句とは何の関係もありません、、、。(1999年秋詠)

神木の真実枯れて梅雨茸

小さな神社の狭い境内に大木が何本も生えている。ご神木になっているため伐採も出来ず、走り根に走り根が重なり、歩くのもままならない。そんな境内の一隅に、雷でも落ちたのだろうか、幹が大きく裂け、高い位置に洞の出来た杉の古木があった。傷んではいるものの、枝には緑の葉をつけ、それなりにご神木の風格が感じられた。掲句の年、境内の一本の走り根に沿って、多量の梅雨茸が生えているのを見つけた。走り根を辿っていくとその古木に行き当たった。見上げると枝は緑を失い、既に生気は感じられなくなっていた、、、。(1999年夏詠)

花冷の校舎の屋根の午笛鳴る

私が通った小学校の木造校舎の屋根にはサイレンがあり、朝六時、昼十二時、夕方五時に大きな音で時を知らせた。その音は、学校から二キロメートルほど離れた私の家でも聞こえるほどだった、、、。帰省した花冷えのする日、父はお茶を淹れながら、私に小学校の閉校が決まったことを伝えた。父もまた同じ小学校の卒業生だった。子どもの数は減っているし、前々からあった話だが、いざ正式に決まったとなるとショックで、余計に寂しく感じるものだった、、、。話している最中に昼を告げるサイレンの音が小さく聞こえてきた。これがこのサイレンを聞いた最後になった、、、。午笛がサイレンなのかどうか、実のところ不明です。(1999年春詠)

子雀の来る庭先にパンの耳

雀は屋根の隙間のようなところに巣を作ります。だから今風の洋風の家よりも昔ながらの純和風の家が好きなようです。我家は洋風ではありませんが、典型的なプレハブで、巣をつくる隙間がないようです。で、道を隔てた和風のお家で育った雀が我家の庭に遊びに来ます。そこで、時々こんな遊びもしてみます、、、。(1999年春詠)

風船や風船売の手を離れ

ヘリウムガスが不足しているせいでしょうか、街から風船が減りました。掲句はそんなことがなかった昔、催し物があれば風船売が付き物で、一つや二つは手を離れて空に舞っていた頃の句です。ほんのちょっとしたミスなんです。風船売と客が「あっ」と言ったのと、私がそちらを見たのと、ほとんど同時でしたが、その時にはもう、、、。(1999年春詠)

叱られし子に柊の花匂ふ

長年徒歩通勤をしたが、それは自分の歴史でもあるし、道すがらの家々の歴史でもあります。通りかかると「おっちゃん、おはよう」と言ってくれた幼稚園の女の子は、高校生になり、やがて子どもを抱いて里帰りをした姿を目にするようになりました。貰われてきたばかりだった子犬は、うるさい犬に育ったが、やがて年老いて眠るばかりになってしまいました。柊のある家の叱られてばかりいた男の子は、いつの間にか見かけなくなってしまったなあ、、、。(1999年冬詠)

夜神楽の神と人とに同じ闇

神楽は宵祭の深夜まであります。神社の本殿が舞台と客席になります。本殿の外にも人が溢れ、さらにその外の一角で、焚火の火が赤々と燃え上がっています。一杯機嫌の大人たちは、炎の熱に顔を背けながら、最近見てきた神楽やら、神楽太夫の評価やら、神楽談義に余念がありません。神楽に飽いた子どもたちは、そんな大人たちの間にもぐりこんでは暖を取り、また本殿に戻って行くのです。(1999年冬詠)

また一人社を去る話とろろ汁

退職もあれば途中入社もあるのが世の常で、この句の一人が誰であったのか今となっては記憶にないが、何か思うところあってこの句になったのだと思う。とろろは「汁」よりも「飯」のほうが好きで、祖母にも母にもよく作ってもらったし、手伝わされた記憶もある。田舎で育てていたのは「つくね芋」や「やまと芋」で、現在多く売られている「長芋」より丸っこく、濃厚な味がした。炊きたてのご飯とこれさえあれば満足で、いくらでも入った。一度食べ過ぎて動けなくなったことがある。人間食べ過ぎると本当に動けなくなることを体験できたのもとろろ飯のおかげだ。(1999年秋詠)