それ以上来るなと鵙が頭上より

今年はいつまでも暑く、秋が来るのが遅かった。それなのに、九月に入るともう河原の木には、蛙や虫たちが刺さっていた。それも日毎に数が増えて行く。いわゆる鵙の早贄。早贄だから早くても良いのかと、いいかげんな事を考えていたが、昨日通るとすっかり無くなっていた。人間が悪戯に取ることも無いだろうから、きっと鵙が食べたのだろう。鵙は贄を作って、そのまま忘れてしまうものと思っていたが、これは新しい発見、、、。一説には、雪国では鵙の作る贄の位置でその年の雪の深さが分かると言うから、間違いに気付いた鵙が、もう一度やり直そうとしているのかも知れない。今年の冬は寒いそうです、、、。(2010年秋詠)

大南瓜仰せつかりし捌役

今年は裏の土手で南瓜が八個も採れました。少し遅かったので熟れ方が心配でしたが、何とか大丈夫でした。何個か食べました。何個かは貰われて行ったようです。あと数個、一つは冬至まで置いておこうと思っています、、、。もちろん、南瓜を切るのはいつも私の役目です、、、。(2010年秋詠)

山椒の実いつも鳴く犬出払ひて

徒歩通勤の途中の柴犬、毎日通るのに毎日吠えられ、それが習慣になっていた。「お前のほうが後から住み着いたのに、うるさいぞ!」と、からかってやると余計に吠えるが、しっかりした鎖で繋がれているから大丈夫。それがある日、犬小屋が空っぽになっていた。「あれっ、どうしたのかな?」と庭を見渡すと実の生った山椒の木があった、、、。しばらく行くと、お婆さんに連れられておとなしく散歩するその柴犬に出会った。いつもと違い澄ました顔をしていた、、、。(2010年秋詠)

色見本繰ればいろいろ秋深し

色見本だから色がいろいろあるのは当たり前ですが、、、。アンソロジーの表紙を決めるために借りた紙の見本帳を眺めての句です。次から次に出てくる微妙に異なる色、これはこれで悩んでしまう。この時は結局どの色にしたのだったろう、、、?(2010年秋詠)

高く舞ひやがて帰燕となりゆけり

帰燕の最終便がいつなのか知らないが、晩秋の燕は、日暮を惜しむように暗くなるまで高いところを舞っている、、、。昔(掲句よりずっと以前、子どもが小さかった頃)、子どもを外人女性の英語教室へ通わせたことがある。町外れの田圃の中の貸事務所を使った夕方からの小さな教室だった。終るまでの時間を駐車場の車の中で潰すときに時々空を眺めた。晩秋にはちょうど夕暮と重なり、暗くなっていく空に点のようになって舞う燕の姿が見えた。燕は見慣れた鳥だったが、暗くなるまで、それも点になるほど高いところを舞う鳥だとは、それまで知らなかった、、、。(2010年秋詠)

秋深む朝の目覚めの肩口に

さすがに朝晩は寒さを感じるようになりましたね、、、。掲句はまだ働いていた頃、日々順調で、気持ち良く目覚めて仕事に出かけていた頃です。寝覚が良くないとこうは感じられない。最近はどうも良くない。早くから目覚めて、悶々といろいろな事を考えてしまう。そのうち外が白み始め、突然鵙の大きな声がしたりする、、、。(2010年秋詠)

子のごとく叱る草の実付けし猫

叱って効果がある訳でもなし、猫のほうも心得たもので、耳を畳んで首を縮め、おとなしくしているが身体は低く、いつでも逃げ出せる体勢をとっている。たいてい後二つ三つのあたりで気を緩めると、するりと逃げ出してしまう、、、。まあ草の実だから良いようなもので、下手をしてドブにはまって帰ってきた時は最悪である。風呂場の戸を閉め、引っかかれないように気をつけながら、しばらく格闘することになるのである、、、。(2010年秋詠)

老犬に田の畦狭し曼珠沙華

老化は足からと散歩に連れ出した老犬、視力は以前から衰えていたが、とうとう狭い畦道で足を踏み外すようになってしまい、もう散歩は無理だなと判断した頃の句です。あれから三年、また夏を越して曼珠沙華の季節を迎えることができました。他の犬たちからも別格と見られているようで、勝手気ままな老後を過ごしています、、、。我家の敬老日風景、、、。(2010年秋詠)