置物の鳥のをりけり庭の春

我家の庭には様ざまなものがやって来るが、その中のひとつ、置物の鴨です。鳥やうさぎは日常茶飯事なので驚かないが、残業から帰って薄暗い庭の隅にこちらを見ている白雪姫の小人を見つけた時には心臓が止まるかと思った、、、。(2011年春詠)

地虫出づホルン響きし閑谷に

今日は啓蟄です。そろそろ虫の動きも活発になって来る頃です。掲句は閑谷学校吟行での句、梅がきれいでした。ホルンの音も古い建物や山々にマッチして良かった。閑谷の虫たちはきっとあの音で気持ちよく目覚めるのでしょう、、、。(2011年春詠)

春炬燵涅槃の底の猫の声

涅槃と言えば大げさだが、春の炬燵の中でうつらうつらしているのは「すべての煩悩の火がふきけされて、不生不滅(ふしょうふめつ)の悟りの智慧を完成した境地」に居るようなものではないだろうかと思う、、、。(2011年春詠)

ゆるびつつ小川は春の音となる

私の生活圏にはたくさんの農業用水があります。大きさも形状もさまざまですが、どの用水も春になればしだいに水量が増えてきます。それにつれて水音も明るく軽やかになって来る、と思うのは春を待っている私の心ゆえでしょうか、、、?(2011年春詠)

凍ゆるむ鍵穴さぐる指先に

寒いのにわざわざ歩く必要も無いのだが、出来るだけ歩いて通勤することにしていた。冬は寒かった。手袋をしていてもジンジンする指先を、バッグを持ち替えてはかわりばんこにポケットに入れた。会社へ着いてからがまた大変で、凍える指先で鍵を握り、正門、通用口と開けていく。そんな季節を越えてふと感じた春の到来、急いで中に入りセキュリテーのロックを外すと、これは年中変わらない機械の中のお姉さんの「おはようございます」の美声、、、。(2011年春詠)

春寒やゆつくり灯る水銀灯

倉庫の高い位置に水銀灯があった。暗い中でスイッチを入れると、水銀灯はゆっくりと明るくなっていく。明るいような暗いような、という表現が良いのかどうか、水銀灯には独特の明るさがある。点るまでの時間はわずかなものだが、そのわずかな時間が春先の薄ら寒さを増幅するような感じがするのだった、、、。(2011年春詠)

農小屋の燻されてゐる畦火かな

若草山、後楽園、阿蘇山ほどではないが、近所の田圃の畦焼ももうもうと上がる煙が一帯を覆い、結構見ごたえがある。早く言えば大人の火遊びのようなもので、付いている人も内心は燃えすぎないかとヒヤヒヤしているのだろうが、一見得意そうに見える。迷惑なのは田圃の中にぽつんと建っている古い農小屋で、何も言いはしないが傾きかけた屋根の形がいかにも迷惑そうに見える、、、。(2011年春詠)

三世代続く女系や梅の花

県北では梅ももう少し先になります、、、。とあるお宅の庭先にある古い梅でした。通りがかりにずいぶん楽しませていただきました。お家も立派な古い農家のつくりでしたが、建て替えられて洋風の洒落たお家になってしまいました。娘さんが結婚されて一緒に住まれるとのことでした。庭もすっかり洋風になって、あの梅の木はどこへ行ったのでしょう、、、?(2011年春詠)

一瓶の水仙近き句座の席

なぜだか倉敷公民館の、誰でも入れる小さな談話室での句会だった。テーブルも高さが違うものが二つ、ぎりぎり人数分の椅子があった。入口側のテーブルの一番入口側の席に座ると、ちょうど目の前に花瓶に入れられた水仙があった、、、。(2011年春詠)

冴返る井上旧家たたき土間

倉敷美観地区にある井上旧家、今は改修中のようで閉じられている。改修されてどのように公開されるのか楽しみにしている。掲句の頃は見学できるのは玄関を入った土間だけで、そこから座敷の奥も覗くことは出来たが、物足りなさが残った。ボランティアの説明員用だろう、入口の脇に石油ストーブが燃えていたが、寒々とした土間の印象だけが残っている、、、。(2011年春詠)