水鳥の羽繕ふも水の中

水鳥は水の中に居ても、そんなに寒くはないのかも知れませんが、それでもやはり暖かい日は楽しそうに見えます。おしゃべりも多いし、追掛っこをしたり潜ったり、それぞれに日差を満喫しているようです、、、。静かに羽を整えているのは母鳥なのかなあ、、、。(2011年冬)

これよりは行者道とや雪残る

阿南公園にはいくつかのウォーキングコースが設定されているようだったが、道標はあるものの途中から全くの山道になってしまい、とうとう踏破するには至らなかった。その中の一つ、鬱蒼とした杉木立の中を二十メートルほど進んだところで道が三つに分かれ、右の道には少し入ったところにお地蔵さんが一体。中央の道が一番広く、ウォーキングコースはこちらのようだった。左の道には「←鍛治ヶ峰」と書いた道標、こちらは完全な行者道といった風情だった。そんなに登った気はしなかったが、平地にはない雪が残っていたので結構高いところまで登っていたのかも知れない。聞こえるのは風の音と鴉の声だけ、結局不安になって引き返してしまった、、、。(2011年冬詠)

枯木立ベンチに犬と老人と

阿南公園はホテルから100メートルほど離れたところにあった。大きな山の中腹ぐらいまでが公園になっており、冬のせいか早朝には出会う人もほとんどない寂しい公園だった。それが気に入り、ここを知ってからはもっぱらここを散歩コースとした。数少ない出会う人の中に掲句の老人と犬があった。最初はすれ違う時に挨拶する程度だったが、ある朝少し登ったところにある神社の前のベンチに老人と犬が座っていたので声を掛けてみた。珍しい犬だと思っていたら四国犬とのことだった。四国犬に関する知識は全くなかったのでただただ聴くだけだったが、犬は自分の話と知っているのか、おとなしく老人に寄り添っていた。久しぶりに仕事を離れた会話をしたような気がして楽しかった、、、。(2011年冬詠)

通訳の手話軽やかに冬ぬくし

四国赴任中の2ヶ月間は、週末は津山へ帰り週明けに四国へ渡る生活だった。行程の中に入れた何ヶ所かのSAの一つ、瀬戸大橋を渡り高松自動車道をしばらく走ったところにある津田の松原SAでの景。観光ではなさそうな五六人のグループが、海に向った窓辺で談笑していた。中の一人が見える場所の説明をしている。他の人が聴きながら相槌を打ったり笑ったり、談笑をしている。その中の一人が自分も話に加わりながら一方で手話通訳をしていた。その手さばきの軽やかなこと、滞ることがなかった。どこかの職場仲間かも知れないなあと思った、、、。(2011年冬詠)

目覚むるはホテル小窓を打つ時雨

四国赴任中の句、あれから二年かと思うと懐かしい、、、。その四国でお世話になった方から年末に食べきれないほどのみかんが届いた。その方が昔津山でお世話になった方が私の近所で、そこにも届けて欲しいとのことなので持っていった。声をかけたが、玄関は開いているのに留守だった。四国からの手紙が入っているので分かるだろうと、玄関に置いて帰った。しばらくして今度はその方が家へ来られた。「届けてくれてありがとう。これは他からの貰い物だけど」と、林檎と洋ナシと純米酒を出された。私はみかんを200mほど運んだだけで、申し訳ないと思いながら、それも遠慮なくいただいた、、、。みかんを四国から我家まで運んでくれた、もと部下のN君、ありがとう、、、。(2011年冬詠)

南国の冬コスモスと言ふべきか

四国に赴任したのは12月1日だったが、右折して会社のほうへ曲がる交差点の側の畑に、コスモスが咲いているのを見つけた。「へえ~っ、まだコスモスが咲いているんだ、やっぱり南国は違うなあ!」と車の中で一人感心した時に出来た句。それからしばらくは、毎日通る度に感心したのだが、そのコスモスがいつ無くなったかが記憶に無い。人間の記憶なんて、そんなものなのでしょうね、、、。(2011年冬詠)

ぽつてりと讃岐平野の山眠る

山の形は場所によってずいぶん違います。同じ岡山県内でも、私が育った備中地方の山と、現在住んでいる作州の山とは違っています。掲句は四国赴任中の休み明け、瀬戸大橋を渡り徳島へ向けて讃岐平野を走っていた車中から見た山の印象です。ぽってりと丸っこい、テレビで見る讃岐の名物の何かのCMのアニメの山そのものでした、、、。子どもの頃には見慣れた形で山の絵をずいぶん描きましたが、讃岐で育った子はきっとこのように丸っこい形の山を描くのだろう、と、走りながらふとそんなことを思いました、、、。(2011年冬詠)

冬芽持つサクラモクレンコクチナシ

こちらは阿南市内の牛岐城趾公園での句。広場の中央に巨大なクリスマスツリーがあった。その大きさに圧倒されるが、もちろん朝なので点灯は無し、訪れている人も無い。植栽に付けられた名札は「サクラ」「モクレン」「コクチナシ」、南国の木々はしっかりと冬芽を育て、春に備えていた、、、。(2011年冬詠)