続けてもう一句、同じ頃の句。「ええっと、ここを曲がれば」と、簡単な地図を頼りに路地に入ると正面に朝日があった。大きかった。山国ではこうは行かない、朝日は山の端に昇るものと決まっているから、、、。(2011年冬詠)
カテゴリー: 2011
駅頭に立てば時雨るる夜明空
四国での最後のサラリーマン生活での句。夜明け前から起き出して散歩、ホテルのフロントで貰った地図を頼りに阿南市内を散策、二十分ぐらいは歩いただろうか、たどり着いた駅で時雨に会った。駅舎に入り、しばらく人の流れを眺め、時雨の通り過ぎるのを待った。外に出ると明けかけた街のクリスマスのイルミネーションが時雨に濡れて滲んで見えた、、、。(2011年冬詠)
風邪の神つれて本社の出張者
内心「無理して来なくても良かったのに、、、」と思いながらも「大丈夫?」と声をかけてしまう、サラリーマンの性。2011年11月と言えば、四国への業務移転が決まり、既にその作業に入っていた頃でした。即ち風邪なんかひいてはいられない、体力勝負の毎日でした。今思えば、それも懐かしい思い出の一つなのですが、忙しかったなあ、、、。みんな元気にしているのだろうか、、、?(2011年冬詠)
去年よりコスモス増えし父の墓
父が亡くなり、一周忌に合わせて墓を作った。ついでに祖父母や曾祖父の墓の周りも周囲も整備してもらい、墓地全体がきれいになった。次の年にどこから来たのか、墓地の隅に一本のコスモスが咲いた。「きれいだね。度々も来られないないからちょうどいいね。このままにしておこうか」ということでそのままにして置いた。それから年々、コスモスは少しずつ増え続け、母の亡くなったこの年には、とうとう墓参りの邪魔になるほどになってしまった、、、。今は少しだけ残して抜くようにしています。コスモスに囲まれた墓もいいけれど、、、。(2011年秋詠)
濁り水山湖の秋を隠しけり
国道429号線を通ると旭川ダムの側を走る区間がある。ここが一番の難所で、片側がダム、片側が山を削った曲がりくねった細い道で、対向車があると止って待たなければならないようなところがしばらく続く。なかなかダム湖の秋を楽しみながらとはいかないが、ちらちらと伺いながら走るぐらいは出来る。掲句、確か台風の後だったと思うが、いつもなら山の季節を映しているダム湖が上流からの土砂で濁っていた。せっかくの秋が、、、。(2011年秋詠)
深秋の日差爆ぜをる豆畑
日差の溢れている豆畑で、時折パチ、パチと音がするのは、熟れて収穫時を迎えた豆の鞘が乾いて弾ける音なんだろう。そろそろ収穫しないと豆が落ちてしまうのではないかと、素人考えでいらぬ心配もしてみる、、、。(2011年秋詠)
出来立ての鰯雲ある今朝の窓
夕景の空を覆い尽す鰯雲も良いが、爽やかに目覚めた朝の窓に見つけた出来立てのような小じんまりとした鰯雲もまた良い、、、。県北はこれから次第に霧の朝が増えてくる。霧の朝にはもちろん鰯雲は無い。朝の日差もまた貴重になってくる、、、。(2011年秋詠)
散り急ぐ桜紅葉となりにけり
植わっている場所にもよるのでしょうが、近くの土手の桜並木は秋になると待っていたかのように紅葉し散り始めます。紅葉が早いか散るのが早いか、ぐらいの勢いです。少し強い風が吹くと、まだ周囲が青々とした中に、ある朝突然に落葉を敷詰めた道が現れたりします。これはこれで結構新鮮な感じで、好きな風景ではあります、、、。(2011年秋詠)
苦瓜の葉のおとろへも九月かな
近年グリーンカーテンが流行していますが、垣にして美しいのはやはりゴーヤです。特に裏側(つまり部屋側)から見て、ほど良い大きさの葉っぱと、光の透過性は最高です。水遣り後のまだ雫の垂れている垣を裏側から見ると、それだけで涼しさが増します。と、言うのは夏までの話、、、。九月になると、さすがに衰えが見えてきます。グリーンカーテンへの関心も薄れ、取り残した実が赤く割れて種を零しています。水遣りも忘れぎみ、そろそろ撤去の時期ですね、、、。(2011年秋詠)
どれもみな笑顔の地蔵曼珠沙華
昨日登場の道の駅近くに円城ふるさと村があり、本宮山円城寺があります。その山門脇のお地蔵様です。道の駅と同じで、平日には人影もなく、ゆっくりと時が流れています、、、。母のところへ呼び出されることが増えていましたが、まだ亡くなるなんて思いもせず、平日なのを良いことに寄道をしては吟行をしていました。あれから二年、早いものです、、、。(2011年秋詠)