家並の途切れ城山花は葉に

昨年の津山吟行での句。天気の良い日だった。城東へ向けて伏見町あたりを歩いていると、途切れた家並の間から鶴山公園が見えた。すでに花は散り、木々は緑を濃くしつつあった。皆さんおしゃべりをしながら、ゆっくりと歩かれる。大丈夫かと心配していると、いつの間にか佳い句をたくさん詠まれている。あと一週間、暑くなく寒くなく、今年も良い天気になれば良いが、、、。(2013年春詠)

湖の海にはあらず蝌蚪の紐

苫田ダムのダム湖が奥津湖である。その奥津湖を見下ろす位置に「みずの郷奥津湖」がある。本当は海が見たいのだが叶わないので、時々出かけてはここから湖を見て帰って来る。気が向けばそこから湖畔まで続く遊歩道を歩く。これからの季節は間近に鶯の声が聞こえ、私の好きな朴の花も多い。遊歩道を下りていくと、かつては田圃であったと思われる湿地や水路の跡が残り、なだらかに湖の底へと続いているのが見える。その先を辿れば、かつて通った国道や家並の風景が眠っているのである、、、。(2013年春詠)

囀と言ふ静けさのありにけり

私の実家は滅多に車の通らないような山の中にあります。だから雑音がありません。鳥の囀りもとてつもない静けさの中から聞こえてきます。この静けさが好きで、たまに帰ると一人で耳を澄ませます。その静けさの中で暮らしている人にとっては何でもないことで、私が「静かだなあ」と言うと決まって怪訝そうな顔をします。もっともな事で、あちこちから囀りが聞こえる中で静かと言う、私のほうがおかしいのでしょう、、、。(2013年春詠)

落花舞ふ保母は園児に追ひつけず

吟行をしていると園児達を連れた保母さんによく会う。いつも大変だろうなあと思いながら見ている。先月の吉備路吟行でも一団を見かけた。ちょうど五重塔の下のトイレに入っている時に、外を通っていく声がした。「観光客の方がいらっしゃいますからね、ちゃんと挨拶してくださいね」「はあい」「はあい」・・・。私がトイレから出た時には一団はすでに山門のほうに向かっていたが、観光客が挨拶攻めにあっていた、、、。掲句は岡山西川緑道公園で見たグラウンド風景(2013年春詠)

千光寺石の狸の花まみれ

津山市城東の町並保存地区の二つほど裏通りの山沿いに千光寺はある。樹齢百五十年という大きな枝垂桜があり、近年は度々テレビで放映されたりして、満開の頃には人足が耐えない。そんな桜も満開を過ぎると途端に人足は遠のき、しだいに木の下の石の狸が寂しそうに見えてくるが、そんな頃のほうが好きなのは私ぐらいのものだろうか、、、。(2013年春詠)

給水車休ませてゐる花の下

吉井川の支流の小さな川沿いに桜並木がある。どこにでもある桜並木で今時めずらしくも無く、まして平日ともなれば、満開の花の下にも人影は無い。ちょうど昼時だったか、通りがかるとその花の下に給水車が一台止まっていた。オレンジ色の給水車が不思議と満開の桜に合い、花の下で昼寝でもしているように見えた。しばらくして用事を済ませて再び通りかかると、給水車は二台に増えていた、、、。(2013年春詠)

学校のチャイム遠くに風光る

そろそろ学校が始まります。私が住んでいる所は学区の外れなので、校庭の声までは聞こえませんが、チャイムの音なら風向きによっては聞こえてきます。ホントに遠くの小さな音です、、、。私の通った小学校は古い木造で、屋根の上にはチャイムではなくサイレンがありました。サイレンは朝昼晩の三回、大きな音で地区中にも時刻を告げていました。2キロメートルほど離れた私の実家でも聞こえるような音でした。たまたま帰省して、父から廃校になることを聞かされている時に、合わせたように昼のサイレンが聞こえてきたことがあります。花冷の頃でした、、、。(2013年春詠)

遠くより風の生まれて雪柳

プールへ行く途中の踏切の手前にしゃれた平屋のお家がある。ちょうど踏切に合わせてスピードを落としたところでよく見える。生垣の端に咲いている白い花は雪柳だろう、と思っていると奥まった玄関脇の大きな白木蓮が日に入る。おっ!と思った瞬間には車庫の傍の白椿が。その時にはもう前へ向き直る途中だったが、庭の奥のほうにも白い花が見えていた。あれも雪柳だったかなあ、と想いだしている、、、。(2013年春詠)