初雪や畝真つ直ぐに葱畑

葱畑も冬の季語ですが、確信犯ですのでご容赦を、、、。畑にも作られる方の性格が表れますね。きっちりと作られた畝に、きっちりと植えられた葱、それだけでも感心するのですが、それが初雪の白さの中で、よけいにきっちりとして見える。プロなんです、この方は、、、。今年の初雪は12月9日でした。10Cmぐらいは積っていたでしょうか。(2002年冬詠)

街さびれ響く聖歌のなつかしき

日曜日、久しぶりに古いアーケード街を歩いてみた。人通りも少なく、開いている店も少ない。暗い。時たま明るくなるのは、取り壊されて青空が見える所、駐車場になっていたり、ブルーシートがかけられ重機の腕が伸びている、今まさに工事中のところ、、、。あの店はどうなったかな、と記憶の中にある店を探して歩いてみた。ずいぶんお世話になった本屋さん、この辺に画廊があったなあ、相変わらずいい匂いのモダン焼き、一軒だけになったパチンコ屋からはカラカラカラカラと玉の流れる音がしていた、、、。(2012年冬詠)

一葉忌活字にもある女文字

学生時代に文学座の公演の大道具を組み立てるアルバイトをしたことがあります。給料は無しで、代わりに公演を見せてもらえるというのが条件で、文学少年にはもってこいの話でした。その文学座の公演が樋口一葉の「にごりえ・たけくらべ」でした。大道具を組み立てるのは見事な熟練の技で、言われたとおりに物を運んでいるうちに終ってしまいました。あとは舞台に合わせてのリハーサルを見ながら本番を待ちます。若い男優が何度も何度も、位置を変えては発生練習をする姿が印象的でした。杉村春子さんや荒木道子さんは本番で見ただけです。着物姿の杉村春子さんが蛇の目傘を開いて、舞台を下がったところで幕、その片手で傘を開く姿の粋だったこと、、、。(2012年冬詠)

鋤きこみし落葉大地の糧となれ

今年は落葉に負けないように掃いた。こんなにも日々刻々と落葉するものなのだと感心した。風にも負けないように掃いた。朝のうちに必ず風の止む時間があるのも発見した。そんな落葉を庭の小さな畑に埋めた。大地に返してやるのが一番だろう、、、。(2012年冬詠)

寒狐人家うかがひつつ行きぬ

吉井川の土手と旧出雲街道沿いの集落の間には田圃が広がっている。その田圃の中を集落と並行して新しい道が一本走っている。散歩コースの土手からは集落とこの道を、遠くに見下ろすような位置関係になる。まだ夜明の暗さが残るこの田圃の中の道を、一目でそれと分かる狐が一匹歩いていた。狐は人の動き始めた人家の方が気になるのだろう、時々立ち止まってはそちらを窺い、こそこそと歩き始めるのだった。反対側の土手に人が居るなんて思わなかったのだろう、土手を散歩する私から見るとその姿は、まるで無防備に見えた。(2010年冬詠)

禅寺のつぎはぎだらけ白障子

総社市の井山宝福寺には、母が近くの施設にいたので訪れる機会が多く、ちょっとだけ母を訪ねては、一人吟行に時間を使った。宝福寺の方丈は庭越しに眺められるだけだが、禅寺らしい佇まいの立派な方丈で、雪舟が鼠の絵を描いたのもこの方丈の中だそうだ。その方丈の庭に面した障子は、やたらとつぎはぎがしてあり、それがまた冬日の中で美しい光を見せるのである。たぶん単なるデザインなんだろうとは思うが、禅寺なのであるいは何か別の意味があるのかも知れないなあ。(2010年冬詠)

一日で成りし更地や空つ風

かつては良く流行っていたドライブインだったが、閉じられてからずい分長い間ほったらかしにされていた。通勤で毎日見ながら、すっかり意識から外れていたが、ある朝大きなトラックや重機が止まっているのを見かけた。その日の帰りは残業で遅く、その場所がどういう状態になっているのか意識することはなかったが、次の朝通りかかると建物はすっかり撤去され、がらんとした空地が広がっていた。(2010年冬詠)

北風や廃工場の玻璃戸鳴る

大きな道であるとか、橋、川などで、どうしてもテリトリーが決まってしまう。同じような距離なのに、国道を渡って散歩に行くのは勇気が要る。意を決して国道を渡り脇道へ入って行くと、「へえ~っ、こんな所に」と思うような所に新しいマンションが幾つも建っていたり、林の中に神社や寺があったりする。結構楽しいなあと思いながら歩いていくと、閉じられた工場があった。何の工場だったのだろう、ずいぶん背が高いな、あまり傷んではいないから最近閉めたのかな。なんて事を考えながら周囲を巡っていると、突然近所の犬に吠えられた。(2002年冬詠)

ぽつかりとトンネルの口山眠る

-しばらく阿南を離れます-ポカンと口を開けて眠るか、ギリギリと歯軋りをしながら眠るか、どちらでしょうか。私の場合は口を開けて眠っているような気がします。どちらにしてもあまり見られたくない顔ではあります、、、。掲句は中国道で大阪へ通っていた頃の句。岡山と兵庫の県境あたりにいくつかのトンネルがある。山にしてみれば好きで開けられたトンネルではなし、喉の奥のほうがむずむずして、たまったものではないだろうが、、、。(2000年冬詠)