よく分かりませんが飛行機にも通り道があって、ちょうどこの辺りの空の、それも高度の高い位置がそれに当っているように思います。昼間には何本もの飛行機雲が交差しているのが見えますし、夜には飛行音とともに、赤と緑に点滅する信号灯がいくつも見えます。さらに夜が更けて、銀河が見える時間帯になると、見えていた点滅が星の中に紛れ、飛行音だけが残るようになります。(2000年秋詠)
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登校の列のでこぼこ秋桜
休耕田に植えられるようになってからでしょうか、道端のコスモスはずいぶん増えました。小学生の背丈よりも高いコスモスも見かけます。それでいて丈夫で、少々の風では倒れません。見習いたいものです。写真は散歩の途中で見つけた小さなコスモスです。下手な写真になってしまいましたが、手前の大きなのが葛の葉、左の大きめの花が普通サイズです。(2001年秋詠)
女教師の胸元深し赤い羽根
どういう状況で作ったのか、さっぱり記憶にないのですが、パソコンの中に残っていた句です。、、、。2000年といえば、学校や地区のいろいろな役員をしていた頃です。たぶん何かの退屈な会合で、隅っこの席から、出席されていた先生を見て作ったのでしょう。熱心な役員ではありませんね、、、。(2000年秋詠)
厨より猫叱る声山椒の実
我家では犬も猫も人間も叱られるのは一緒です。そんな事を言っても犬や猫には分からないだろうと思うのですが、犬も猫も逃げ出しもせずに、それらしい顔で聞いています。まあ、ひたすら耐えて、台風が通り過ぎるのを待つより他がない事は、教えたわけではありませんが、私と一緒ですから。(2000年秋詠)
北向の窓の明るさ柿熟るる
我家の裏には二階ぐらいの高さでJRの土手があり、姫新線が走っています。国鉄時代と違い、JRになってからは殆ど手入れをされることが無く、放って置けば茂った草や木が我家まで迫って来ます。仕方が無いので私が草刈をします。その代わり土手の斜面は、我家の庭の一部になっています。花もありますが、柿、無花果、枇杷、ポポと果実の生る木もたくさん植えてあります。何と言っても古いのは柿で、借家住まいの頃に育てていた木を移植しました。ですから三十年以上の古木ということになります。少ない年もありますが、それでも毎年実をつけてくれる、働き者です。(2000年秋詠)
湯の宿の莚に干され唐辛子
我家から奥津温泉までは車で三十分ほどで行けます。途中に大きな苫田ダムのダム湖があります。ダム湖を見て一休み、それから国道をそれて奥津渓に入って行きます。どちらもこれからが良い季節です。奥津では近年町おこしに各種唐辛子製品が売られています。ドレッシング、一味、醤油、もちろん唐辛子そのものも。そんな訳でこんな風景に出会ったのですが、莚の上で秋日を受ける唐辛子は普段にも増して真っ赤に見えました。(2012年秋詠)
水脈引いて川渡りきる秋の蛇
夕暮れ時に川べりを散歩をしていると、何かが川面をこちらに向かってくるらしい水脈が見えました。普通ならその先端に水鳥の姿があるのですが、それが無い。よくよく見ると、少しだけ頭をもたげた蛇が泳いでくるのです。川幅の狭い浅瀬なら何度も見たことがありますが、吉井川の堰の上流で、十分な川幅の場所を泳いで渡る蛇なんて、初めて見ました。ついつい渡りきるまで見てしまいました。渡りきると蛇は躊躇なく傍の草むらに紛れてしまいました。(2012年秋詠)
月光を入れて寝る癖むかしより
雨戸もカーテンも、出来るだけ開けて眠ります。理由は朝起きた時に、光の量でだいたいの時間がわかることです。おまけが月光です。月齢、季節、天候と、この三つが揃うことは一年を通してもそうたくさんはありませんが、揃うと素敵な眠りのひと時が得られます。時々は夜中に月光を感じて目覚めることがあります。これも気持ちの良いものです。朝の光と違い、またいつの間にか眠ってしまいます。月光は眠りを、日光は目覚めを誘う光と言えるかも知れませんね。(2011年秋詠)
秋を来て会釈一つですれ違ふ
知らない土地で、知らない人に出会うと、何となくこんな挨拶になりませんか。公園を一人で吟行しているような秋の日はなおさらです。(2010年秋詠)
少年のことごとく打つ曼珠沙華
初心の頃の作。徒歩通勤の途中の畦道に咲いていた彼岸花が、ある朝ことごとく折られその場に散乱していた。少年の頃の自分も同じようなことをした記憶がある。すっと立った彼岸花は折れやすく、折れると少し苦いような匂いがした。少年のストレス解消には絶好の材料だった。大人からは毒があるから触るなと言われ、墓地に多く咲く花に、けっして良いイメージなど持てなかった。そんな彼岸花を美しく思えるようになったのは俳句を始めてからのことだ。(1998年秋詠)