ベランダの錆びし鉄柵花八手

朝ゴミを出しに行く所がちょうど昔住んでいた家の前で、ゴミを出して帰ろうとするとその佇まいが目に入る。今住んでいるのは独り身の無頓着な方で、玄関脇の八手は奔放に育って二階の窓に届きそうになっている。ちょうど花の季節、木が奔放なら花も奔放、その奔放に咲いたクリーム色の花がさびれた古い家の佇まいとよく合っている、、、。(2000年冬詠)

また一人去りて北風吹く日かな

何となく詠んだ句です。掲句とは関係ありませんが、プール通いも五年目です。やはり会う人は変わって行きます。見かけないと言っても、もともと知らない人なのですぐ気づくわけではありませんが、ある日ふとしばらく見かけない事に気づいて、どうされたのかなあと思うのです。その割に新しく来る人は少なくて、ちょっとブームが去ったのかなあと思います、、、。(2015年冬詠)

あやふやな記憶たどりて日短

冬至まで二週間、ほんとに日が短くなりましたね。考え事をしていてもすぐ日暮が来てしまいます。もっとも、最近は記憶があいまいで、考え事はするのだがどうもうまく繋がらない、時間だけが過ぎて行く、そんな事が増えたことも一因ですが、、、。(2015年冬詠)

ひとところ水脈の輝き鴨の陣

もう五日ぐらいになるだろうか、老釣師が毎日同じ場所に陣取って鯉を狙っている。邪魔にならないように会釈だけで通り過ぎるのだが、数メートル過ぎたところで川を覗くと三尺ぐらいはありそうな大鯉がかすかに尾びれを動かしながら身を潜めている。ひょっとして老釣師が何日も狙っているのはこの大鯉かも知れないと思い、老釣師のほうを見るとじっと糸の先の水面に集中して、こちらも動かない。まるで鯉と老釣師の間に一本の緊張の糸が張られているような気さえした、、、。(2015年冬詠)

冬桜ガイド掲ぐる団体旗

これも古い句です。ガイド、団体旗と言えばバス旅行、どこへ行ったんだろう?と自分でも詠んだ時の記憶がない。そんな事を考えながら見ていたら近くに答の句がありました。それは明日のお楽しみ、、、。(2000年冬詠)