亡き友を想ふ日溜まり小六月

小さな六月とはよく言ったものだ、と思いながら暖かい十一月の河原を歩いていたら小六誠一郎さんを想い出した。早いもので、もう一年が来ようとしている。入院先の病院から最後の電話を頂いたのが11月19日だった。「病院からですが、今日帰れることになりました」「そうですか、おめでとうございます」「それで、申し訳ないのですが、五の日句会のほうはもう少し休ませてください」「もちろん、体調が良くなってからでいいですよ。ゆっくり休んでくださいね」と、そんな会話を交わして切ったと思う。最後になるなんて、思っても見なかったから、、、。日溜まりのような笑顔と大きなお腹を想い出すが、俳句を離れると、きっと厳しい社長さんだったのだろう、、、。先日会社のあった場所を通ったら、通るたびに見ていた屋根の上の看板が、別の社名に変わっていた。わかっていた事だが寂しかった、、、。(2013年冬詠)

掛大根子ども飛び出す納屋の口

掲句は何度か登場願った通勤途中の子沢山のお家の掛大根です。2000年だからその子ども達が小さかった頃の景です。納屋の入口のたくさんの掛大根に見とれていたら、いきなり中の暗がりから子どもが、、、。(2000年冬詠)

炭竈の人なく上るうす煙

美咲町の本山寺へ行く途中の道端に小さな炭竈があります。生業としての炭焼きではないのでしょう、いつ見ても人の姿はありません(滅多に通りませんので無理もありませんが)。この時も人の姿は無かったのですが、煙は出ていました。色が薄かったので、炭焼きの作業としては終盤だったのでしょうね、初冬の山らしい景でした、、、。(2012年冬詠)

あの世とはこんなものかも返り花

ちょっとした気候の変化で返り花は咲きます。そう思って探すと、いつもの散歩道の桜並木でいくつも見つけられることがあります。大きな木の枝先に緑の葉っぱが二三枚、返り花はそれに隠れるようにしてひっそりと咲いています。そう思わなければ、気付かないままです。気付いた花もいつの間にか散っています。と言うより、いつの間にか消えています、、、。(2012年冬詠)

古具屋に「こばた」の看板冬ぬくし

通い始めた小学校のそばのお店、軒先にこの看板がありました。吊るした看板の両面に大きくひらがなで書かれた「こばた」の文字、入学したての一年生にはかっこうの話題でした。だって横書きの時は左から読むと習ったばかり、「こばた」と読めるが意味がわからない、、、。新しい「たばこ」の看板に変わったのはずいぶん後のことでした、、、。掲句は岡山奉還町の路地を入ったところにある古具屋で見かけた看板です、、、。(2012年冬詠)

風邪の神つれて本社の出張者

内心「無理して来なくても良かったのに、、、」と思いながらも「大丈夫?」と声をかけてしまう、サラリーマンの性。2011年11月と言えば、四国への業務移転が決まり、既にその作業に入っていた頃でした。即ち風邪なんかひいてはいられない、体力勝負の毎日でした。今思えば、それも懐かしい思い出の一つなのですが、忙しかったなあ、、、。みんな元気にしているのだろうか、、、?(2011年冬詠)

大根の白を積み上げ朝の市

昨日の漬物樽からの連想で大根の句を持ってきましたが、古い句でどこの朝市だったか忘れてしまいました。記憶にないということは、近くのスーパーか何かの朝市だったのかも知れませんね。積み上げられた白がまぶしい、、、。(1998年冬詠)

路地に置く漬物樽と冬菫

岡山駅西口近くの裏通りの風景です。浅い軒廂の下にプランターや鉢が重なるようにして並べてあります。その一角を、これも重なるようにして、プラスチック製の漬物樽が占めています。まだ漬けて間もないのか、重石と蓋の下の隙間に見えるビニールシートが新しそうです。プランターには冬菫が、これも植えられて間が無いのか、水遣りの跡が冬の日差しに、、、。(2012年冬詠)