叱って効果がある訳でもなし、猫のほうも心得たもので、耳を畳んで首を縮め、おとなしくしているが身体は低く、いつでも逃げ出せる体勢をとっている。たいてい後二つ三つのあたりで気を緩めると、するりと逃げ出してしまう、、、。まあ草の実だから良いようなもので、下手をしてドブにはまって帰ってきた時は最悪である。風呂場の戸を閉め、引っかかれないように気をつけながら、しばらく格闘することになるのである、、、。(2010年秋詠)
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通園のバス待つ母子手に野菊
俳句を始めて間もない頃の通勤途中の光景です。ああ、こういう光景を見ることも無くなったなあ。例えばあの時の子が5才だったら、今はもう20才の大人です。どういう青春を送っているのでしょうか、、、。(1998年秋詠)
叔父に聞く母のロマンス秋彼岸
叔父がポロリと話してくれた父と母のロマンス。きっと二人とも仏壇の向こうで慌てているだろうが、こういう話を聞けるのも叔父一人になってしまった、、、。(2012年秋詠)
撓みつつ月にかかりし雁の棹
日常の散歩で、こんな景色に出会えることも、あるのです。ほんとに偶然、タマタマです、、、。(2012年秋詠)
苦瓜の葉のおとろへも九月かな
近年グリーンカーテンが流行していますが、垣にして美しいのはやはりゴーヤです。特に裏側(つまり部屋側)から見て、ほど良い大きさの葉っぱと、光の透過性は最高です。水遣り後のまだ雫の垂れている垣を裏側から見ると、それだけで涼しさが増します。と、言うのは夏までの話、、、。九月になると、さすがに衰えが見えてきます。グリーンカーテンへの関心も薄れ、取り残した実が赤く割れて種を零しています。水遣りも忘れぎみ、そろそろ撤去の時期ですね、、、。(2011年秋詠)
秋の暮女が残す旅鞄
意味深な句が残っていたので一句。記憶にない、、、。(2002年秋詠)
老犬に田の畦狭し曼珠沙華
老化は足からと散歩に連れ出した老犬、視力は以前から衰えていたが、とうとう狭い畦道で足を踏み外すようになってしまい、もう散歩は無理だなと判断した頃の句です。あれから三年、また夏を越して曼珠沙華の季節を迎えることができました。他の犬たちからも別格と見られているようで、勝手気ままな老後を過ごしています、、、。我家の敬老日風景、、、。(2010年秋詠)
コンビニへ道一本の良夜かな
今年の十五夜は十九日です。さて、月は見られるだろうか、、、。(2012年秋詠)
秋夕日ポポの実ひとつ落つる音
ポポとか、ポーポーとか、ポポーとか呼ばれている北米原産の果物で、日本へは明治の頃に持ち込まれたらしいです。モクレン科で、真っ直ぐな木に朴のような葉をしています。果実は大きなアケビのようですが、色は緑、アケビのように熟しても割れません。味はなんとも表現が難しいですが、好き嫌いのはっきり分かれる味で、私はどうも、、、。植えたのはずいぶん前ですが、生り出したのはほんの数年前です。採り頃がわからず待っていると、熟したら勝手に落ちてきます。実も大きいので、音も大きな音がします。掲句はその瞬間です、、、。(2012年秋詠)
どれもみな笑顔の地蔵曼珠沙華
昨日登場の道の駅近くに円城ふるさと村があり、本宮山円城寺があります。その山門脇のお地蔵様です。道の駅と同じで、平日には人影もなく、ゆっくりと時が流れています、、、。母のところへ呼び出されることが増えていましたが、まだ亡くなるなんて思いもせず、平日なのを良いことに寄道をしては吟行をしていました。あれから二年、早いものです、、、。(2011年秋詠)