その後の思考続かず秋暑し

今日は田舎へ墓掃除に行ってきます。毎年の事ですが暑いんです。もうこれぐらいで勘弁してもらおう、と毎年適当なところで止めてしまいます。お墓の中では、おいおいもうお仕舞かと思っているか、暑いから無理はせんでもええよと思っているか、きっと後者のほうだと、これも勝手にそう思って、、、。(2017年秋詠)

八月のいきなり鵙の鳴く日かな

八月になると鵙の甲高い威嚇するような声が聞こえるようになる。それもいきなり、散歩の途中の二階建ての家の一番高いテレビアンテナの上から降ってくる。あの声を聞くと秋が来た事を感じる。実際はまだ八月で、昼間は相変わらずのうだるような暑さにまいっているのだが、、、。(2017年秋詠)

榠樝の実持てば凸凹手にそひて

阿智神社には数本のかりんの木があり、沢山の実をつける。この季節になると社務所の窓口の所に「自由にお取りください」の貼紙と共にいくつもの実が置かれている。貰ってどうするわけでもないが手に取ってみる。いくつもを持ち直して、あの独特の凸凹が手になじむ物を一つだけ頂く、、、。(2016年冬詠)

鴉瓜枯野に点を打つ如く

鴉瓜は秋の季語ですが、存在感を増すのは冬に入ってからのように思います。葉を落としていく木にぶら下がって、次第にその姿を現すと同時に赤さを増していきます。それがすなわち今、初冬の時季なのです。当分は楽しめます、、、。(2016年冬詠)

木の実降る小さき社に大き音

近くの神社の裏に行くといくつかの小さなお社が並んでいます。お稲荷さんもあります。お社自体は古いものですが、修復された屋根はトタン葺きです。これに木の実が落ちると大きな音がします。いきなりなもので、ちょっとビックリ、、、。(2015年秋詠)