父母を足せば我顔初鏡

当たり前と言えば当たり前なんですね、、、。鏡の中の自分に、父や祖父の確かな面影を見つける事が多くなって来ました。礼服なんかを着て真面目な顔をしていると、余計にそんな気がしてしまいます。それだけ自分が歳を取ったという事なんでしょう、、、。(2015年新年詠)

包丁の痩の年月去年今年

掲句の包丁はかれこれ25年ほど前、初詣に落合の木山神社へ行き始めた頃、境内の屋台で買った、新見の松水と言う刃物屋さんのものです。以来研ぐのは私の役目、刃の欠けも何度も研いで直しました。さすがに痩せて、他の包丁に比べるとずいぶん軽く感じます。それでも手放せないのは、愛着でしょうか。刃物にはそんなところがありますね。まるで我が人生のよう、なんて、研いでいて思った時の句です、、、。(2012年新年詠)

一息に登る石段初社

明けましておめでとうございます。皆様良いお正月をお迎えでしょうか。今年一年が皆様にとって良い年でありますように、心からお祈り申し上げます。本年も昨年同様にご愛顧のほどをお願いいたします、、、。掲句、落合の木山神社での句です。まずは年の初めの体力測定、と言ったところでしょうか。この石段を登りきると「まだ大丈夫」、とホッとするのです。霊験あらたかなお勧めの神社です。是非お参りください、、、。(2012年新年詠)

年用意終へて社務所の空つぽに

昨年の納め句会(12月25日)、阿智神社での句です。もっとも平日の阿智神社の社務所は空っぽの時のほうが多いような気がします。今年(12月24日)もそうでした。掃除が行き届き、随所に飾られた新しい注連縄の新しい紙垂の白色が際立って見えました、、、。さて今日は大晦日、どこの神社の社務所も夜を待つばかり。宮総代の皆様お疲れ様です、、、。(2014年冬詠)

用水にぬつと顔出す残り鷺

歩いて通りがかったちょっと深めの用水路から鷺の首がぬっと出てきた時の句です。驚いたの何のって、近くで見ると鷺の顔は大きくて怖い。ところで、この鷺は何と言えば良いのだろうかと帰って調べたら「残り鷺」が出ていた。なるほどなあ、これだ、、、。どうにかこうにかブログの引越し作業が終わりました。同じ状態にしたつもりなのですが、もしかどこか変なところにお気づきでしたら教えてください。疲れた~、、、。(2014年冬詠)

首折りしままに遠のく浮寝鳥

先日も浮寝鳥の句を書きましたが、こんな句も詠んでいました。ちょうど昨年の今頃、煤逃げに出た吉井川で見た景です。寝ているようで寝ていない。見ていないようで見ている。自然の生き物の生態です。我が家の犬も、寝ているかな?起きているかな?と思って見ているとパチッと目を開けてこちらを見ます。人間には無い感覚を持っているのですね、、、。(2014年冬詠)

着ぶくれて我も子羊神の前

昨年の納め句会に出した阿智神社での句です。ちょっとだけ今年の未年に引っ掛けて詠んだつもりの句ですが、その未年も残り僅かとなってしまいました。この時に子羊の気分になって素直にお願いしたおかげでしょうか、良い年だったと思います。今年は24日が納め句会でしたが、また同じように阿智神社へ行きしっかりお願いをして来ました。来年も無事に年の瀬が迎えられますようにと。暖かい日でした。着ぶくれていると汗が出るくらい、、、。(2014年冬詠)

老いたれば庭も老いたり寒椿

庭を造った時に、「微笑み 」だったか「笑顔」だったか、その名に惹かれて植えてもらった椿の木があります。だからかれこれ三十年ほどになります。大した手入もしないのに、ピンクの大きな花が咲きます。例年だと年が明けてからポツポツと咲き始めるのですが、何と今年はもう満開です!花も数が多く、例年以上に綺麗です!暖かい冬のせいだと思うのですが、今からこんなに咲いて、来年は大丈夫?とも思うのです。今年咲き過ぎて来年は咲かない、なんてのも寂しいですからね。掲句は昨年、こんな句を詠んでいる事から思えば、昨年は花が少なかったのかも知れませんね、、、。(2014年冬詠)