教会の木椅子の硬しクリスマス

考えてみれば本物の教会へ行ったことは一度しかない。それもクリスマスではなかった。下宿していた友人の家のお姉さんがクリスチャンで、収穫祭の教会へ連れて行ってくれた。下宿していた場所も田舎だったが、その教会も、どうしてこんなところに?と思えるような農地が広がる中にポツンとあるちいさな古びた建物だった。お姉さんと、友人と、私と、一緒に下宿していたもう一人の友人と。お姉さんを除く我々は、けっして敬虔な心など持ち合わせていなくて、ただただ美味しいものが食べられるとの言葉につられただけだった。教会に集まった皆さんはどの方もとてつもなく優しかった。細長い机と硬い木の椅子、暖かい薪ストーブ、収穫に感謝し、讃美歌を歌い、そして最後にパンと鳥の足のささやかな食事が出た。鳥は鶏だったのか七面鳥だったのか、とにかく飢えた若者たちが敬虔な気持ちになるには十分な美味しさだった。この次はクリスマス、のはずだったが冬休みに入るとさっさと帰省し、次の年の春には下宿を離れ学生寮に入ったので、二度と教会へ行くことはなかった、、、。(2002年冬詠)

白菊や黄菊や朝の路地ぬける

隣家の軒下に菊が数鉢並んでいます。今年は作られていないのかと思っていたのですが、ここに来て中程度の大きさのそろった白と黄の数鉢が並んでいます。作者のきちんとした性格が表われているような菊です。掲句は昔、徒歩通勤途中の路地に面したお宅の横を抜ける時の句です。こちらは寄せ植えの小さな白と黄、赤ら顔のおじいさんの花畑、、、。(2002年秋詠)

置物のやうに猫ゐる菊日和

古い句です。先日車で走っていて同じような光景がありました。農家の庭先に畑があり、ご夫婦でしょう、農作業中です。道路から家まで緩やかな坂道が続いています。その道路際に置かれた農作業用の車の上に、チョコンと猫が座っているのです。まるで農作業の終わるのを待つように、、、。(2002年秋詠)

一人居の窓ふさぎたる吊し柿

予想通りと言うべきか我が家の柿は今年は不作でした。数えるほどしか無いので今年は吊し柿は無しです。掲句は古い句ですが近所の二階の窓です。私の実家でもずいぶんたくさんの吊し柿を作っていました。今思えばどうやって消化していたんだろうと思うほどです。もちろん手伝いもしましたので、今でも皮むきは得意です、、、。(2002年秋詠)

身を寄せてすれ違ふ路地花八手

何度も登場した路地の、これも登場したことのある花八手です。ちょうど路地を抜ける手前の塀の上から覗いています。いかにも日本的な路地でした。先日通ったら路地を出たところにあった小さな衣料品店が改装中でした。また一つ思い出の風景が消えていきます、、、。(2002年冬詠)

露草や腹を濡らして犬戻る

朝の散歩で見る露草がきれいです。すっかり秋になりましたね。半ズボンTシャツでは朝は寒いぐらいです。掲句は我家に来た初代プードルの句、時は流れ、その孫のプードルがもう老犬です。あの頃は我家に黒ラブが来るなんて思いもしなかった、、、。(2002年秋詠)