行春の潮目に白き波頭

ほど良い海風に吹かれ、鷲羽山の展望台からの眺めはすばらしかった。そして下りの、転げ落ちそうな道から眺めた海の色も。色が異なるのは、あれが潮目というものかと、山の中に住んでいる私は勝手に想像したのでした、、、。(2012年春詠)

白蝶の花弁のごとく動かざる

暑くなったり寒くなったり、それがやがて暑くなったり暑くなったりになるのですが、まだ寒さの残る朝の草に白蝶がとまっていました。全く動かないので、遠目には白い花と見えたのですが、なんの花かと近寄ってよく見ると蝶でした。そうだよなあ、こんなところに白い花が咲くはずが無い、と納得、視力の衰え、、、。(2011年春詠)

糸切れて春の鯉へと戻りけり

また老釣師の登場です。句から結果は見えていますが、初めてその瞬間に出会いました。ちょうど竿の先が動き、老釣師が立ち上がって竿に手を伸ばしたところでした。まだ静かなままの水面に鯉の姿はありません。間合いを計っていた老釣師は、突然ぐいっと竿を合わせます。足場を確認するように後を振り向いた老釣師は、私を見つけるとニヤッと微笑みました。私は見つからないように観察したかったのですが、これが勝負を分けたようです。ゆっくりと竿を立て、糸を巻きながら倒していく。しばらくこれをくり返すと、やっと水面に頭部が現れました。赤みを帯びた口回りの色がきれいでした。鯉は老釣師に全身を見せつけるようにゆっくりと身を翻すと、また水中に潜って行きました。50センチは越しているでしょう。そんなやり取りが何回かありましたが、突然ビシッと音がして糸が切れました。静寂が辺りを覆いました。鯉はしばらくその場にいましたが、やがて悠然と姿を消して行きました。老釣師は私に、「遊ばれてしまいましたわあ」と微笑みながら言うと、ゆっくりと竿を仕舞い始めました、、、。私が見ていなかったら上がっていただろうと思うとち、ちょっぴり申し訳ない気がしました、、、。(2013年春詠)

現れし祖父若々し春の夢

私の祖父は木炭の検査員という仕事をしていました。退職後の晩年は自分で炭を焼いていました。私も多少は手伝った記憶があるのですが、それよりも炭焼き小屋で遊んだ記憶のほうがたくさんあります。火を入れた窯の真っ赤に焼けた焚き口で焼きいもを作ると最高に美味しくできました。たぶん陶磁器を焼く窯でも同じではないかと、釜場の俳句を読む度に私は不謹慎なことを考えてしまいます、、、。そんな祖父が、なんの拍子か夢に出てきました。それも自転車の後に私を乗せてあちこち連れて行ってくれていた頃の若い姿でした、、、。(2012年春詠)

一筋の人住む煙春の山

子どもの頃は、それぞれの家から立つ炊事の煙が、さようならの合図のような物でした。それがいつ頃までだったのか記憶に無いのは、たぶん成長して近所で遊ぶことが少なくなった頃と重なるからなのでしょう、、、。掲句、国道429号線を走っていて、遠くの山間に見つけた煙です。ああ、あんなところにも家があるのだ、と、、、。(2011年春詠)

親鳥のしつぽはみ出し鴉の巣

都会ではカラスが針金のハンガーで巣を作るとか、話題というか問題になっていますが、さすがにこの辺りでは小枝を使うようです。が、雑です。大丈夫なの?って言うぐらいスカスカでも平気なようで、下から見ると親鳥のお尻が半分ぐらいはみ出しているのです、、、。(2011年春詠)

声大き駅前タクシーうららけし

吟行の下見にと城東地区の古い町並を歩き、この辺りまでと決めて裏通りに入ると、普通に古びた裏町がある。水色のランドセルを背負った少女が三人、しゃがんで道端に咲いた花を見ながらおしゃべりをしていた。黙って通り過ぎようとすると、いきなり一人が立ち上がって「帰りました」と元気良く挨拶してくれた。あわてて「お帰り」と言ったが、いきなりだったので声の大きさで負けたような気がする、、、。掲句は閑谷学校吟行での集合場所、山陽本線吉永駅の駅前タクシーです、、、。(2011年春詠)

遠景に一両電車朝桜

吉井川の土手が散歩コースです。その散歩コースから田圃、さらに家並を越えて、姫新線の線路があります。家並が途切れた数十メートルの区間だけで走る列車が見えます。一両の時はコトコトコトコトといった感じで過ぎて行きます。見て楽しいのは長い列車、特別仕立てのきれいな長い列車が、これでもか、これでもかといった感じで過ぎていくのは見ごたえがあります。最近は美作建国1300年とかで、時々ナルト列車なるものも走っています、、、。(2010年春詠)