見下ろして一村一寺銀杏散る

川向こうのなだらかな山すそに畑が広がっている。収穫が終った畑に人影は無く、柔らかな午後の日差が降り注いでいる。道はまばらに点在する人家を縫うようにして山へと続いている。その人家が途切れた山の中腹あたりに、一目でそれと分かる寺の大屋根が見える。大屋根の傍には、お決まりのように大きな銀杏の木が、色づいて黄金色に輝いて見える、、、。県北を走っていて見かけた村の風景、、、。(2010年秋詠)

初霜や畑に残る屑野菜

畝に収穫前の太った白菜が並んでいる。端っこのほうの収穫が終ったところには、根元から切られて株が残され、萎れかけた屑菜が散らばっている。白く見えるのは霜が降りているのだろう、早朝の畑は静寂そのもの、、、。(2000年冬詠)

古書店の通路は狭し一葉忌

買うことは少ないのですが、古書店そのものが好きで、見つけると寄ってみます。そんな古書店の一つ、岡山奉還町の、句会への途中で寄道した古書店です。少しだけストーブの灯油の匂いがするお店でした、、、。今日は一葉忌、、、。(2012年冬詠)

風一夜さわぎて朝の石蕗の花

雨風の激しい一晩がありました。朝には雨は上がっていましたが、木々は濡れ、動きの早い雲の間から時折太陽が覗くような初冬の天候でした。散歩に出ると、昨夜の風の狼藉ぶりがそこここに見えます。桜並木はすっかり葉を落とし、濡れた落葉が舗装路に貼り付くように残っています。根元の草むらは風に押し倒されるように乱れ、その間から石蕗の黄色の花が健気に覗いていました。気をつけて見ると、どなたが植えられたのか、それぞれの桜の木の根本に黄色の花が、、、。それから一年、今年からその石蕗の花を見つける楽しみが出来ました、、、。(2012年冬詠)

夜神楽のお面忘れし稲田姫

もう一句、備中神楽の一こまです。神楽に酒はつき物ですが、楽屋で出番を待っている間に飲みすぎて、お面をつけずに舞台に上がってしまった稲田姫です。これは神楽太夫をしていた父から聞いた話で、後楽園で見た神楽ではありませんので、念のため、、、。手力雄だったか稲田姫だったか猿田彦だったか稲脊脛だったかもあやふや、、、。(2013年冬詠)

股引の足が見えをり楽屋口

岡山の後楽園を吟行した時のことです。遠くから備中神楽の太鼓の音が聞こえてきました。聞き慣れたその音に、吸い寄せられるようにして見に行きました。名前は忘れましたが、座敷を開け放った古い建物で備中神楽が舞われていました。建物が小さいので、上がり口に幕を張って楽屋が設えてありました。楽屋口の外にはスニーカーが雑然と並んでいました。若い神楽太夫ばかりなのかと思いましたが、幕の下に見えたのは股引を穿いた足でした、、、。(2009年冬詠)

亡き友を想ふ日溜まり小六月

小さな六月とはよく言ったものだ、と思いながら暖かい十一月の河原を歩いていたら小六誠一郎さんを想い出した。早いもので、もう一年が来ようとしている。入院先の病院から最後の電話を頂いたのが11月19日だった。「病院からですが、今日帰れることになりました」「そうですか、おめでとうございます」「それで、申し訳ないのですが、五の日句会のほうはもう少し休ませてください」「もちろん、体調が良くなってからでいいですよ。ゆっくり休んでくださいね」と、そんな会話を交わして切ったと思う。最後になるなんて、思っても見なかったから、、、。日溜まりのような笑顔と大きなお腹を想い出すが、俳句を離れると、きっと厳しい社長さんだったのだろう、、、。先日会社のあった場所を通ったら、通るたびに見ていた屋根の上の看板が、別の社名に変わっていた。わかっていた事だが寂しかった、、、。(2013年冬詠)

掛大根子ども飛び出す納屋の口

掲句は何度か登場願った通勤途中の子沢山のお家の掛大根です。2000年だからその子ども達が小さかった頃の景です。納屋の入口のたくさんの掛大根に見とれていたら、いきなり中の暗がりから子どもが、、、。(2000年冬詠)