炭竈の人なく上るうす煙

美咲町の本山寺へ行く途中の道端に小さな炭竈があります。生業としての炭焼きではないのでしょう、いつ見ても人の姿はありません(滅多に通りませんので無理もありませんが)。この時も人の姿は無かったのですが、煙は出ていました。色が薄かったので、炭焼きの作業としては終盤だったのでしょうね、初冬の山らしい景でした、、、。(2012年冬詠)

あの世とはこんなものかも返り花

ちょっとした気候の変化で返り花は咲きます。そう思って探すと、いつもの散歩道の桜並木でいくつも見つけられることがあります。大きな木の枝先に緑の葉っぱが二三枚、返り花はそれに隠れるようにしてひっそりと咲いています。そう思わなければ、気付かないままです。気付いた花もいつの間にか散っています。と言うより、いつの間にか消えています、、、。(2012年冬詠)

古具屋に「こばた」の看板冬ぬくし

通い始めた小学校のそばのお店、軒先にこの看板がありました。吊るした看板の両面に大きくひらがなで書かれた「こばた」の文字、入学したての一年生にはかっこうの話題でした。だって横書きの時は左から読むと習ったばかり、「こばた」と読めるが意味がわからない、、、。新しい「たばこ」の看板に変わったのはずいぶん後のことでした、、、。掲句は岡山奉還町の路地を入ったところにある古具屋で見かけた看板です、、、。(2012年冬詠)

風邪の神つれて本社の出張者

内心「無理して来なくても良かったのに、、、」と思いながらも「大丈夫?」と声をかけてしまう、サラリーマンの性。2011年11月と言えば、四国への業務移転が決まり、既にその作業に入っていた頃でした。即ち風邪なんかひいてはいられない、体力勝負の毎日でした。今思えば、それも懐かしい思い出の一つなのですが、忙しかったなあ、、、。みんな元気にしているのだろうか、、、?(2011年冬詠)

大根の白を積み上げ朝の市

昨日の漬物樽からの連想で大根の句を持ってきましたが、古い句でどこの朝市だったか忘れてしまいました。記憶にないということは、近くのスーパーか何かの朝市だったのかも知れませんね。積み上げられた白がまぶしい、、、。(1998年冬詠)

路地に置く漬物樽と冬菫

岡山駅西口近くの裏通りの風景です。浅い軒廂の下にプランターや鉢が重なるようにして並べてあります。その一角を、これも重なるようにして、プラスチック製の漬物樽が占めています。まだ漬けて間もないのか、重石と蓋の下の隙間に見えるビニールシートが新しそうです。プランターには冬菫が、これも植えられて間が無いのか、水遣りの跡が冬の日差しに、、、。(2012年冬詠)

菊の鉢片寄せひそと忌中札

通勤途中の酒屋の店先には春夏秋冬それぞれの花や鉢物が飾られ、通り過ぎる間の僅かな時間であるが、私の眼を十分に楽しませてくれた。秋にはもちろん、大輪の菊が何鉢も飾られ、入口が分からないほどだった、、、。ある日通ると、その菊の鉢がすべて片寄せられていた。閉じられたままのガラス戸の内側に、色褪せた白いカーテンが重そうに垂れているのが見えた。そして、梁の中央に黒い縁取りの忌中札が貼られていた、、、。(2010年秋詠)

駅裏にぬけ道多しゐのこづち

句会への行き帰りに岡山駅の周辺を歩くようになって、駅の広さにも驚きますが、駅裏の道の多さにも驚いてしまいます。中には線路まで来て無くなる道とか、鉄道関係の会社でしょうか、いつの間にか敷地に入っていて抜けられず、知らぬ顔をして引き返したりとか、慣れるまでは大変でした。新しい道を見つけて歩くのも楽しみの一つですが、時には掲句のような、育ちすぎた牛膝にどうやってすれ違おうかと悩むような道も、、、。(2012年秋詠)

手をひろげ欅百年目のもみじ

国道53号線、御津のへんで見た欅の大樹です。欅の紅葉は黄もあり紅もあり、さまざまなようです。掲句、もともとは「黄葉」としていましたので、たぶん黄色だったのでしょう、車の中から見たひと際高い木の大きさと、形の良さだけが記憶にあって、色は曖昧です。もちろん、百年経っているのか、それ以上なのかも曖昧ですが、キリの良いところで、、、。(2012年秋詠)