放たれて犬遠くあり大夏野

毎日の散歩コースの河川敷は、1キロメートルぐらいの区間に芝を植え、一度は公園として整備されたところだが、今は年に一二度草を刈られるだけで、次第に草原に変りつつある。整備された最初の年には、学区内の全町内会合同の運動会が開催されたほどのグランドや、ゲートボール場もあるが、ほとんど使われることはなく、犬を遊ばせるには絶好の場所である。そして私の日々の句作の場でもある。この句を詠んだのは、我家にまだ初代のプードルが健在だった頃、犬の代は変わったが、いまだに夏になると思い出す。良し悪しは別にして、自分では心に残っている句である。(2002年夏詠)

女郎蜘蛛しつかと空をつかみけり

竹竿の先に細い竹で団扇ぐらいの輪を作り、それに蜘蛛の巣をぐるぐると巻きつける。これで高いところの蝉を採るのですが、蜘蛛の巣の中でも女郎蜘蛛の巣が、強さでも粘着力でも一番良かった。そんな訳で、女郎蜘蛛には親しみを感じるのです。大きな体の鮮やかな黒と黄の縞模様で、頭を下に空中をしっかりと掴んだ姿は、風格すら漂わせているように感じられます。(2010年夏詠)

降りさうで降らぬまま暮れ半夏生

二十四節気七十二候のうち、夏至の三候。早く言えば半分夏の頃で、中途半端な私にはピッタリの季語かも知れない、なんて思いながら詠んだ初心の頃の句。おりしも梅雨明には間のある空もどんよりと中途半端でした。作った頃は仮名遣いも中途半端でしたが、それがここにあります。旧仮名にしておけばよかったと、今更ながら思うのですが、そうそうたる俳人の中に混ぜて頂くって、気持ちいいものですね。(1999年夏詠)

凌霄の遠目に暮るる里の家

凌霄花は農家の庭先によく似合う。これも通勤途中にあるお宅。不要になった電信柱に凌霄花を登らせ、登りきった凌霄花がさらに枝を張り、まるで一本の木のように丸ごと花に覆われた姿は圧巻だった。凌霄花を知ったのは俳句を始めてからだが、知ってからは毎年このお宅の凌霄花を楽しみにしていた。(1999年夏詠)

炎昼を運ぶ右足左足

暑い日でした。通用口を出て次の通用口までの僅かな距離がやけに長くて、なんでこんな日に外を歩くことを選んだのかと思いながら炎天下を歩いた時に出来た句。右足も左足も自分の足ではないようで、次は右、次は左と、自分に言い聞かせながら足を運んだ。まあ、俳句が詠めるぐらいだから、外で仕事をされる方に比べると、ずいぶん楽なんですがね。(2008年夏詠)

日に一句叶わぬことも心太

一日一句として年に三百六十五句。その中の、自分で俳句と思えるものが三分の一として、百二十二句。さらにその中で共感を得られるものが三分の一として、四十一句。これぐらいは残せるでしょうか。ところがどっこい、この一日一句、難しいですね。心太は好きでも嫌いでもありませんが、心太のように、押せばにょろにょろと俳句が出るような方法はないものでしょうか。(2011年夏詠)

蚊を打つて右手左手すれ違ふ

なんと悲しいことよ。蚊を打とうとすれば、右手と左手が合わない。これが老いるということなのか。もっとも、昔に比べると味が悪くなったのか、蚊に食われることも少なくなった。多少のところなら虫除けスプレーもいらない、便利な身体になっちゃった。(2010年夏詠)

自転車の尻に挿す傘梅雨晴間

傘を差して自転車に乗るなんて、今の交通事情では危なくってお勧め出来ませんが、昔は普通に乗ってましたね。降ってない時は畳んだ傘を、サドルの後のすき間からペダルのところへ差し込んで、颯爽と、、、。颯爽と、とは行きませんが気まぐれに自転車で通勤していた時の句です。(2003年夏詠)

鳥よけの網の濃紺枇杷熟るる

もう時効となっている(と思う)子どもの頃の事です。人里離れた山田の傍に一本の枇杷の木がありました。持ち主が誰だったのかいまだに知りませんが、そこに枇杷の木があることは子どもたちの間で代々引き継がれ、熟れる頃を見計らってはみんなで盗みに行きました。ほったらかしの枇杷の木で、種ばかり大きくて決して美味しくは無いのですが、スリルはありました。大人たちも知っていたはずなのに、一度も叱られたことが無いのが不思議ですね、、、。掲句の琵琶の木は、会社へ通った道から田圃一枚隔てたところにあります。近くに寄って見たことはありませんが、網をかけてあることから、出荷される立派な枇杷だろうと思います。(2000年夏詠)