ある季節が去り、次の季節に移り変わろうとする頃の空を「行き合いの空」と言うそうです。もちろん夏から秋に限った事では在りませんが、美しいのはやはり夏から秋への「行き合いの空」ではないでしょうか。上空にはすじ雲、遠くの山の端には小ぶりですが峰雲が立ち上がり、両方の美しさが見える時があります。(2010年秋詠)
投稿者: 牛二
日の暮の早しと思ふ野分後
今年は台風が少ないですが、野分後の句をついでにもう一句。台風が来たからと言って、急に日暮が早くなる訳ではありませんが、夕暮れの西の空を走っている雲を見ていると、そんな気がします。(2010年秋詠)
雲が雲追ひ越して行く野分あと
暴風が去りかけた空を見ると、雲が何層にもなっているのが見えることがある。はるか上層にはすじ雲が青空を分けるようにあり、下層にはちぎれた黒い雲が、重なって見える。その黒い雲も何層かになっていて、気流の関係だろう、下層の雲が上層の雲を追い越して行くように見える。ちょうどあの辺りに前線があるのだろうと、テレビの天気予報で動いていく前線を想像したりする。(2011年秋詠)
川音ではかる水量秋出水
家ニ軒と土手を挟んで吉井川という場所に住んでいる。土手があるので、二階からも水面までは見えない。大丈夫と思いつつも、大雨の時は水量が気になる。傘をさして見に行くことはあるが、それも叶わないほどの降りの時や夜間には、水音で判断する。だんだんと激しさを増してくる水音は不気味だが、どうすることも出来ず、開き直ってテレビでも見ているほかはない。(2011年秋詠)
話あるごとくに秋の蝶寄り来
こんな時って楽しいですね。最も、自分でそう思っているだけで、蝶にそんな気がないことは百も承知なのですが、、、。女性と同じで、近寄れば離れるんです。(2010年秋詠)
芋虫も泣くや悲しきことあらば
芋虫を見ていたら、ついこんな句が出来てしまいました。一寸の虫にも五部の魂、虫にだって泣きたい時はあるだろう。(2009年秋詠)
俳人や上見て残暑あびてをる
手帳を片手に、なにやら難しそうな顔をして、上のほうばかり見ている。時折独り言をつぶやき、手帳になにやら書きとめている。こういう人はたいてい俳人です。(2011年秋詠)
大根蒔く話も出でし集会所
俗に「津山時間」あるいは「作州時間」と呼ばれるものがある。なんてことはない、ようするに時間にルーズで、決められた集合時間は、その時間までに集まるのではなく、その時間から集まり始めるというぐらいに考えておいたほうが良い、と言うのが津山時間である。今はだいぶ良くなったが昔はひどかった。だから役員会でも寄り合いでも、本題に入るまでがやたらと長く、近況の確認から始まり、近所の誰某の噂話、やがて種まきの話なども出てくるのである。歳時記によると、大根は二百十日前後に蒔くそうだ。(1998年秋詠)
一村を覆ひて余るいわし雲
散歩に出て吉井川の土手への坂道を少し登ると、ちょうど空を眺めるのに良い場所へ出る。秋には見える限りの空を覆うような鰯雲に出会うことがある。吉井川を越え、となり村も越え、次第に小さくなって西の彼方へ消えて行く。西の彼方には我が故郷があると思うと、感傷的な気分にもなる。(2008年秋詠)
南洋にある台風の端の風
日差の暑さはなかなか収まらないが、吹く風には明らかに秋が感じられる。その風も、南洋に生れた台風の渦巻きの端っこの風なのかと思うと、少しだけロマンを感じる。なんてことを言うと、台風の通り道にお住まいの方に叱られるだろうか。(2012年秋詠)