村中を囲むように延々とトタン板の猪垣がめぐらせてある。私が子どもの頃も猪の被害はあったが、今のように猪が民家の傍にまで出てくることはなかった。人が減り、捨て畑や休耕田が増える事で人間のテリトリーが狭まって行き、ついには自ら垣の中で暮すことになってしまった。その一因はお前にもあるのだと、白く光る猪垣は私の行手を阻んでいるように見えた。(2009年秋詠)
投稿者: 牛二
稲育つ校長室の水盤に
木造校舎の正面玄関を入ると、右に校長室、左に職員室があった。職員室には度々入ったが、校長室には六年間の小学校生活を通じてほとんど入った記憶がない。ただ黒光りのする広い部屋で、机の上の四角形の水盤に、整然と稲が育っていたことだけを覚えている。稲は田圃で育つものと思っていたので印象深かったのだろう。校長先生はある日の朝礼で、人間には「馬鹿馬鹿」(馬鹿そうに見えて馬鹿)「馬鹿利口」(馬鹿そうに見えて利口)「利口馬鹿」(利口そうに見えて馬鹿)「利口利口」(利口そうに見えて利口)の四種類がある。一番悪いのは「利口馬鹿」だ、「利口馬鹿」にはなるな、と言われた。(2009年秋詠)
離陸機の大円描く秋天に
中国自動車道からは伊丹空港から離陸し、旋回して飛び去って行く飛行機が見えます。中国自動車道に限ったことではありませんが、離陸した飛行機が飛び去って行く姿には旅心を誘われます。まして、出張帰りの車中で、機体の背景が秋の夕空ならなおさらです。(1998年秋詠)
工場の鉄の戸開く秋の野へ
コンピューターの道に足を踏み込んだのは今から二十五年ほど前になります。仕事柄休日に出て一人で作業することが増えましたが、苦にはなりませんでした。むしろ集中して思考の世界に浸れましたので、充実感で一杯でした。やっと一区切りついて、工場の重い鉄扉を押し開くと、そこには急に明るいグランドが広がっていました。(1998年秋詠)
こほろぎや事務所にもある虫の道
会社の築四十年にならんとする社屋は、増築と改築で何が何だか分からないように入り組んだ古い建物でした。あちこちに隙間が出来、事務所で使っていた場所にも床と壁の接点に小さな穴がありました。なぜか毎年その穴からこおろぎが現れ、事務所を横切ってはまた別の穴に消えて行くのです。昆虫だから毎年違う虫と思いますが、同じように、、、。(2008年秋詠)
出来うれば銀河の下に眠りたし
学生時代には夏になると旅に出ました。泊まるところといえば、良くてユースホステル、駅、テント、最悪が野宿でした。自転車で山陰を周ったときに松江の近くで野宿しました。資材置場のようなところでしたが、満天の星空で、銀河がきれいでした。野宿も慣れればどうってことはないのですが、今出来るかというとたぶん無理です。一睡も出来ずに夜を明かすことになるでしょうね。(2008年秋詠)
開け放つ夜学の窓に教師の背
レストランの窓際の席からは、道路を挟んで、進学塾のある小さなビルが見えた。一階はすでに灯りが落され、端っこに狭い二階への階段が口を開けていた。周辺には所狭しと自転車が止めてある。二階の開け放った窓には、煌々と灯る灯りの中で、机に向かう生徒たちの頭が並んでいた。時折教師らしい男の姿が現れ、後ろ向きに窓にもたれかかるような姿勢をし、しばらくするとまた明りの中へ消えて行くのだった。(1999年秋詠)
軋みつつ首振る秋の扇風機
今日は処暑です。今年はとうとうエアコンを使わずに過ごしました。この軋みつつ首を振る扇風機には、今年はとりわけお世話になりました。節電にはなりましたが、頭の中はいつもボーとした状態で、結局のところ生産性は悪かったように思います。長年の贅沢病が、そう簡単に治るはずはありませんものね。(2010年秋詠)
苦瓜の触れて匂へり蔓までも
糸瓜、ひょうたん、朝顔、ゴーヤと植えてみましたが、グリーンカーテンにはゴーヤが一番でした。色合い、葉の大きさ、強さ、どれをとっても最適でした。それに収穫した実が食べられるのも良いですね。赤く熟れた実が突然にぱっくりと割れて、種が飛び出してくるのはちょっと不気味な感じがしますが、飛び出す種の周りが甘いのはご存知でしょうか。(2010年秋詠)
涼風の一閃音の消えしごと
倉敷吟行での句。阿智神社の蝉音の中を独り彷徨っていると、突然風が吹いた。長い石段を登り汗ばんだ身体が一瞬涼しくなった。頭の中が空っぽになり、周囲の音が消えたような感じがした。(2011年夏詠)