散歩していると落蝉に出会う。落ちたときのひっくり返った姿のままで力尽き、やがて静かに死を迎えるのだろう。そんなところに犬の鼻が近づいて来るものだから、蝉はおちおち死んでも居られない。息を吹き返した蝉はジジジジと激しく鳴きながら、またどこかへ飛んでいった。(2010年秋詠)
投稿者: 牛二
すがり来て蟷螂の腹やはらかし
蟷螂のお腹の中には別の生物がいるのをご存知だろうか。ちょうど輪ゴムを切ったぐらいの太さと長さの糸状で、黒い色をしている。輪ゴムのように丸まったり、伸びたり、クネクネと不気味な動きをする。少年時代には何度も見たが、見るまでの過程は書かずにおこう。(2008年秋詠)
退屈な塩辛とんぼ寄つて来い
蜻蛉の中で一番馴染みのあるのは、やはり塩辛とんぼではないでしょうか。見かけるのも良く見かけますし、蜻蛉自体もからかっているのだか、からかわれているのだか、近くへ寄って来ることが多いですね。とまっている蜻蛉に指をぐるぐる回して、頃合を見計らって、捕まえようとするとするりと逃げる。しばらくするとまた同じところに戻ってくる。やはりからかわれているのは人間のほうでしょうね。(2011年秋詠)
威銃犬と一緒に撃たれけり
午前七時、朝の散歩の心地よさに浸っていると、川向こうの田圃の陰からいきなりドーンと、その年の最初の一発が鳴り響いた。驚いたのなんの、犬と一緒に跳び上がり、心臓も飛び出しそうだった、、、。昔の威銃は風情があった。太い孟宗竹を切った手作りの筒に、カーバイトを入れ薬缶の水を注ぐ、アセチレンガスが発生した頃合を見計らって、火を点けたマッチを放り込む。ドーン!これを繰り返す。まあ大人の火遊びといった所で、子供たちは耳を押さえながら見ていた。(2008年秋詠)
城跡に赤子泣く声秋暑し
赤穂での句。いつの間にか城跡と民家が入り組んだようなところに紛れ込んでいた。板塀の向うに集合住宅らしい平屋が並び、赤ん坊の泣き声が続いていた。さて、どちらへ行ったものか、と、真昼の太陽を見上げた。(2002年秋詠)
夏明や隣家にコップ洗ふ音
目覚めれば朝のしじまの中に、水道の音と、コップの触れる小気味のよい音が、昨夜の宴の名残りのように続いている。気持ちの良い朝の目覚めだ・・・。子どもの頃の夏休みの朝は、母が台所で胡瓜を刻む音で目覚めた。食卓に胡瓜の無い日はなかったなあ。(2011年夏詠)
ドップラー効果蝉音の下行けば
ピーポーピーポーと救急車が近づいてきて、目の前を通り過ぎると途端にピーポーの音の高さが変わりませんか。あれをドップラー効果と言います。近づいてくる物から出る音は高く、遠ざかる物から出る音は低く聞えるのです。蝉音にドップラー効果なんて在る訳はありませんが、ニイニイ蝉の鳴いている木の下を通ると、そんな気がしませんか。(2011年夏詠)
野に咲いて朝顔藍を深めけり
朝顔は強いですね。河原に捨てられた蔓から種が落ち、それから毎年毎年河原で花を咲かせる朝顔があります。だんだんと原種に戻ってくるのでしょうか、花は年毎に小さくなりますが、栽培種の大輪には無い美しさがあります。(2009年秋詠)
すいつちよの足置いて行く青畳
開け放った田舎の家では、夜にはいろいろな訪問者があります。度々訪れるのがすいっちょ(馬追)です。しょっちゅう入ってきては、部屋の隅で突然鳴き出します。後足は太く跳躍力も強いのですが、なぜか脆く、逃がそうとしたりするとすぐに足が取れてしまいます。(2008年秋詠)
灯籠の一夜回りし灯を落とす
今年は母の初盆です。父の時は母がいましたので、母の言う通りに動いて済ませましたが、今度はそうは行きません。幸い近所にも親戚にも煩い人がいませんので、兄弟で相談して、簡単に質素に済ませることにしました。古いしきたりが悪いとは思いませんし、出来ることはやりたいのですが、なにぶんにも家を離れていると、やはり難しいことですね。(2008年秋詠)