炎昼を運ぶ右足左足

暑い日でした。通用口を出て次の通用口までの僅かな距離がやけに長くて、なんでこんな日に外を歩くことを選んだのかと思いながら炎天下を歩いた時に出来た句。右足も左足も自分の足ではないようで、次は右、次は左と、自分に言い聞かせながら足を運んだ。まあ、俳句が詠めるぐらいだから、外で仕事をされる方に比べると、ずいぶん楽なんですがね。(2008年夏詠)

日に一句叶わぬことも心太

一日一句として年に三百六十五句。その中の、自分で俳句と思えるものが三分の一として、百二十二句。さらにその中で共感を得られるものが三分の一として、四十一句。これぐらいは残せるでしょうか。ところがどっこい、この一日一句、難しいですね。心太は好きでも嫌いでもありませんが、心太のように、押せばにょろにょろと俳句が出るような方法はないものでしょうか。(2011年夏詠)

蚊を打つて右手左手すれ違ふ

なんと悲しいことよ。蚊を打とうとすれば、右手と左手が合わない。これが老いるということなのか。もっとも、昔に比べると味が悪くなったのか、蚊に食われることも少なくなった。多少のところなら虫除けスプレーもいらない、便利な身体になっちゃった。(2010年夏詠)

自転車の尻に挿す傘梅雨晴間

傘を差して自転車に乗るなんて、今の交通事情では危なくってお勧め出来ませんが、昔は普通に乗ってましたね。降ってない時は畳んだ傘を、サドルの後のすき間からペダルのところへ差し込んで、颯爽と、、、。颯爽と、とは行きませんが気まぐれに自転車で通勤していた時の句です。(2003年夏詠)

鳥よけの網の濃紺枇杷熟るる

もう時効となっている(と思う)子どもの頃の事です。人里離れた山田の傍に一本の枇杷の木がありました。持ち主が誰だったのかいまだに知りませんが、そこに枇杷の木があることは子どもたちの間で代々引き継がれ、熟れる頃を見計らってはみんなで盗みに行きました。ほったらかしの枇杷の木で、種ばかり大きくて決して美味しくは無いのですが、スリルはありました。大人たちも知っていたはずなのに、一度も叱られたことが無いのが不思議ですね、、、。掲句の琵琶の木は、会社へ通った道から田圃一枚隔てたところにあります。近くに寄って見たことはありませんが、網をかけてあることから、出荷される立派な枇杷だろうと思います。(2000年夏詠)

家ひとつ建ち上がる音梅雨晴間

散歩コースに古い造成地がある。出来たのはもう二十年以上前になると思うが、家が数軒建っただけで、後は分譲地の看板が何度か作りなおされて建ったぐらいのものだった。そこに車の出入りが始まり、やがて足場が組まれていった。建前は狙ったように梅雨の晴間の一日だった。よそ様の家ながら、遠くから見える空に伸びきったクレーンや、響いてくる高い槌音は気持ちが良い。何とか今日一日降らずにいてくれる事を祈るのみであった。(2012年夏詠)

網戸して路地へつつぬけ厨事

狭い路地に面して台所があり、勝手口がある。網戸をしようがすまいが、筒抜けと言えば筒抜けなんだが、、、。このお宅、いつも濃厚な美味しそうな匂いが食欲を誘い、娘や孫娘の体型からもその味の良さが想像できた。ご主人はいつも赤ら顔で、いかにも酒が強そう。夏にはステテコ姿で、家の前を流れる用水を汲み、そこらじゅうに打ち水をされている。怖そうなので、会釈だけで通り過ぎることにしていた。(2011年夏詠)

時鳥たちまち遠き声となる

私が過ごした学生寮は小高い丘を切り開いた林の中にあった。夏になるとうるさいぐらいに時鳥が鳴き交し、お盆を過ぎると波のように蜩の声が押し寄せた。とある夏の夜、疲れた眼を癒そうと窓を開けた時、赤っぽい夏の月に向かって鳴きながら飛んで行く時鳥の姿が見えた。こんな事ってホントにあるんだと、ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れるの歌を思い出した。今でも夜に時鳥の声を聞くと、時々この時のことを思う。(2011年夏詠)

塀越しに渡す回覧額の花

私の家はちょっと外れていますが、町内の多くの家は旧出雲街道沿いにあります。車がすれ違えないような道ですが、昔はこの道をボンネットバスが走っていたと言うので驚きです。そうしてみると、ボンネットバスってちいさかったんだと、子どもの頃に乗ったバスを思い出したりしてみます。ちょっと外れた私の家から回覧板を回すには自転車を使います。キキキーッとブレーキの音をさせると、Rさんの奥さんが塀の向うに顔を出す。「回覧」と言う前に「ご苦労さん」の声。自転車に跨ったまま回覧板を渡します。梅雨の晴間の額の花がきれいです。(2001年夏詠)

雨音の鈴鳴るごとし植田道

雨の畦道を歩くと、植田に降り続く雨が、まるで鈴の鳴るようにチリチリと音を立てる。育ち始めた苗の周りに、水音の数の水輪が出来て、水音の速さで次の水輪に消されていく。苗は時たまぶつかる雨粒に葉先をゆらしながら、整然と並んでいる。心地よさそうに見える。(2010年夏詠)