津山の紫陽花寺、長法寺吟行での句。あの時は皆様遠いところをお疲れさまでした。俳人の味方、雨の吟行でしたね。あれから毎年出かけていますが、今年も16日、雨の中を行って来ましたよ。まだ少し早いように思いましたが、おりしも紫陽花まつりの初日で、次々に人がみえていました。その時の写真を一枚、参道の突き当たり、薄田泣菫の碑があるところの紫陽花です。(2010年夏詠)
投稿者: 牛二
蕉翁の墓前で蜘蛛の囲にかかる
義仲の墓にそひけり鴨足草
<その9>義仲寺は思ったよりも小さな寺でした。山門を入ると右手に受付、資料館、左手に植え込みと土蔵があり、少し先に巴塚、木曽塚、芭蕉翁の墓と続きます。参拝者の姿はなく、受付も空っぽなので躊躇しましたが、大きな声で二三度呼ぶと、奥のほうから女性の声がしました。狭い中に句碑が点在し、無名庵、翁堂、朝日堂と建物も多く、全体的には窮屈な感じがしました。幸い人が少なかったので、ゆっくりすることが出来ましたが。(2012年夏詠)
義仲寺へ十薬の路地ぬけにけり
前半で使いすぎましたので、いきなり義仲寺へ移ります。<その8>義仲寺へは膳所駅で降りて、徒歩十分と読んでいたのですが、お寺らしい建物が見当たりません。通りがかりの同年輩の夫婦らしい二人連れに聞くと、「曲がるところを一つ間違えましたね。ちょうど近くへ行くのでご一緒しましょう」。義仲寺の話をしながら少し引き返し、左折して路地へ。路地の脇には青々と茂っている十薬が見えました。路地を抜けると左を指して、「そこですよ。じゃあこれで」と二人は道を渡って行きました。義仲寺の小さな門とお堂が見えました。案内していただいたお二人、ありがとうございました。やっぱり私の定番、路地が出てきてしまいました。(2012年夏詠)
椎古りて菩薩に零す新樹光
<その7>観音堂から微妙寺へ向かう道は、三井寺の中では最も自然な感じの林の中の小道でした。派手な色彩の毘沙門堂が左手やや上に、若楓に隠れるように建っています。紅葉の頃の美しさが想像できました。右手の大きな椎の木の下には童観音菩薩、少し行くと左手に衆宝観音と、古くはありませんがどちらも比較的大きな石仏です。木々の間から朝の光が降り注ぎ、いかにも気持ちよさそうなお顔をされていました。少し歩くと力餅の売店に出ます。そろそろ休みたい気分でしたが、時間が早すぎたせいでしょうか、閉まっていました。推敲の結果ひとみ案を採用させていただきました。ありがとうございました。(2012年夏詠)
音たてて黴の戸ひらく修行僧
<その6>翌日はホテルのフロントに荷物を預け早朝から出かけました。三井寺へは拝観時間前に着いてしまいました。広い寺領に点在する建物のそれぞれで、朝の準備が進んでいました。そんな御堂の一つ、まだ周囲の窓が板戸で閉じられていましたが、急にがたがたと音がして内側から手が現れ、一枚ずつ順番に開けられていくのです。二方向ぐらいが開いたところで、頭を丸めた作務衣姿の若い僧が顔を出し、大きな声で挨拶をしてくれました。(2012年夏詠)
脂臭きホテルの窓の夏夜風
<その5>二階にある駅の改札口を出て階段を降りると、すぐに予約しているホテルの明りが見えました。黄昏たビジネスホテルといった佇まいでした。一泊素泊まり4,500円の部屋なので、禁煙の選択肢もなく大して期待もしていませんでしたが、案の定部屋に入った途端に、ヤニの臭いで息が詰りそうでした。幸い窓が開く造りだったので開けると、四階の道路に面した窓には、街の雑音と共に気持ちのよい夜風が入って来たのです。とりあえず窓はそのままにしておいて、フロントで聞いた近くのコンビニへ食料の買出しに出かけました。ついでに缶ビールも、、、。(2012年夏詠)
夏の夜の軋みて止る京津線
<その4>関西には読みにくい地名が多いですね。今回では「御陵」(みささぎ)とか、「膳所」(ぜぜ)とか。地名ではありませんが「京津線」(けいしんせん)とか、、、。御陵で乗り換えて、京津線で浜大津へ。電車は信号待ちらしく、浜大津の手前で止まっていましたが、動き出した途端にぐぐぐっと大きく右にカーブしました。まるで交差点で信号待ちをしていたバスが右折するような、電車では経験したことのない動きでした。そしてそのままゆっくりと浜大津駅に滑り込み、大きく軋みながら止ったのです。(2012年夏詠)
風さつと吹いて五月の夜の電車
<その3>やっと駅に着きました。とりあえず一息ついて、姉夫婦に別れを告げます。行先掲示板を眺め、切符を買って自動改札口へ。ちゃんと通れるのかと不安になりながら、切符を投入口に。あっという間に吸い込まれた切符は、既に向こうにちょこんと覗いています。やれやれ。路線表示を確かめながらホームへ。ほどなくしてサッと風が吹き、風を押すような形で電車が入って来ました。(2012年夏詠)
三条の橋より望む川床明り
<その2>川床は場所によって「かわどこ」と言ったり「ゆか」と言ったりするらしい。賀茂川沿いに並ぶ川床の明りを三条大橋の上から眺めました。どちらかと言うとまだ空の明るさのほうが勝っている中で、明りははんなりとした京都らしい華やかさを見せていました。川床から一段低い河川敷の薄暗がりの河岸には、多くのカップルが等間隔に並んで腰を下ろしているのが見えました。そこには、暗さと共に華やかさを増していく川床や川面とは、別の世界が形成されているように思えました。かぐや姫の歌「加茂の流れに」を思い出したりしました。(2012年夏詠)