花筵昔べつぴん足さする

足守、近水園(おみずえん)、初めて合歓の会に参加させていただいた時の句。俳句をお休みして5年ほど経っていた。読売新聞の俳句欄にH女史の名前を見つけた私は迷うことなくメールを送った。ほどなく返事が来て、何度かやり取りをしているうちに合歓の会へ誘われるようになった。とうとう断れなくなって出かけたのがこの日だった。H女史との再会、そして先生を始めとした合歓の会のそうそうたる皆さんとの出会い、それが今に続いているのです。縁って不思議なものですね。(2008年春詠)

入学の子に青空の新たなる

学校行事と言えば私の仕事だった。掲句は下の子の中学校入学式での句。校舎のある高台へは臨時駐車場のぬかるんだグランドへ車を置き、長い石段を登って行く。ふと見上げると清々しい真青な空があった。まるで子どもたちの新しい学校生活を祝福するかのようだった。こんな時代もあったんだ。(1999年春詠)

梅東風やべらたしらすにぽち二つ

高知で言うところの「ノレソレ」を岡山では「ベラタ」と言うらしい。その稚魚「シラス」。倉敷美観地区吟行での昼食で初めて頂いた。例によって「これは何ですか?」という句仲間の質問、お店の方の「ベラタシラスです」という歯切れの良い声。小さなガラス器に盛られた「べらたしらす」には点を打ったように小さな目が二つ透けて見えた。酢味噌で頂く。美味。(2011年春詠)

春時雨那岐連山をかくしけり

梅の里は津山市の梅の名所。展望台まで登ると、岡山県北一帯の山々がよく見える。結構高い位置なのだろう、山の向うに次の山が見える。那岐山は岡山県と鳥取県に跨る標高1255メートルの山、梅の里から見えるかどうか、正確なところはわからないが、見えるとすればこちらかと思われる方向が雲に覆われ、雨に煙っていた。那岐連山と言うかどうかも怪しいものですが、、、。(2010年春詠)

冷たさのひとかたまりや落椿

落椿を手に取ると重さと共にその冷たさに驚く。倉敷安養寺吟行での句。山門をくぐったところに一本の椿があり、その下に数個のまとまった落椿があった。思わず触れてみた。余談になるが、安養寺近くの山で鴬が鳴いていた。実にきれいなホーホケキョだった。今住んでいる岡山県北のこのあたりの鴬はホーホケキョケキョと鳴くことが多い。<正調の鶯鳴けり安養寺>(2010年春詠)

白木蓮を一両過ぎて汽車止まる

初めての句会からの帰りに作った句。各駅停車の津山線は眠るにはちょうどいい。程よい満足感と疲れで案の定眠っていたらしく、車内放送に目覚めたのはだいぶ津山寄りの小さな無人駅だった。スピードを下げていく車窓からホームに咲く白い大柄な花が見えた。白木蓮だと気付くのと、ブレーキの音と、ちょうど一両分ほど行き過ぎて車両が止まるのと、わずかな時間の出来事だった。(2002年春詠)

消防のもぬけの車庫や春燈

今は移転したが少し前まで我家から50mほどのところに消防署があった。消防署と言っても平屋建ての小さな支署で、消防車と救急車が各一台、消防士さんも10人に満たないほどだった。人数は少ないが、毎朝の点呼や訓練の時には大きな声が我家まで響いてきた。昼間通ることはほとんどなかったが、ある春の午後通りかかると救急車も消防車も出払って、赤いランプだけがぽつんと灯っていた。やけに静かだった。(2000年春詠)

初蛙するりと箒抜けにけり

一度に春が来たような日だった。そろそろやっておかなければ手がつけられなくなる庭の手入れ、手始めに落葉を掃いていると箒から零れるようにするりと残ったものがある。もう一度掃こうとして保護色の蛙であることに気付いた。「おいおい、気をつけてくれよ!」と言わんばかりの顔をしていたので「ごめ~ん」と一枚パチリ。初蛙(2012年春詠)

欠落の記憶たどりて日永かな

同窓会余談。顔が判らない人があろうことは予想していたが、そんな彼らと話していて、記憶に完全に欠落している部分があることに気付かされた。これはショックだった。今日一日なんとか思い出そうとしたが、どうしても出てこない。そんな事があったような気はするのだが、、、。辛かったことや悲しかったことは消えればよいが、楽しかったことまでが消えて行くものなんだ。(2012年春詠)