ふりむけば夏の空ある机かな

細長い事務所の端っこ、窓を背に全体が見渡せる場所に机を置き、仕事に専念する毎日だった。と言えば聞こえは良いが、それだけではない。後を見れば窓がある。窓の向うには空が広がっている。後を向いて考え事をしている、と見えて実はこんな俳句を作っていたことを女子社員のIさんは知っていただろうか。(2009年夏詠)

睡蓮の下は林のごときかな

群生した睡蓮の下はどうなっているのだろうか。地上の林のように茎が林立し、葉の間から日差しが漏れて来るのだろうか。我々が林の中を歩く時のように、魚たちは頭上の光を感じながら、茎の間をさまよっているのだろうか。(2010年夏詠)

万緑やカヌーに紅き救命衣

国道53号線を岡山へ向かうと、福渡あたりの旭川で良くカヌーを見かける。私は門外漢だが、カヌー仲間では結構有名なスポットらしく、毎年来ると言う取引先の若者もいた。今日中に仕事を済ませて、明日は有休を使ってカヌーを漕ぎます、なんていうスケジュールを羨ましく思ったものだ。国道を挟んだ山の緑と川に浮ぶカヌーの、ことに救命衣の赤が鮮やか。門外漢の私にも気持ちよさそうに見える。(2002年夏詠)

くろ猫の眼の浅緑麦の秋

いつもの散歩コースに見つけた麦畑。おまけに黒猫までもがこちらを見ている。猫は犬と違い黙ってこちらを観察するだけで、決して挨拶はしてこない。こちらもあえてちょっかいは出さないが、なんとも見事な眼をした黒猫だった。(2012年夏詠)

新じやがの茹で上げてまだ野のにほひ

「新じやが」なんてのも季語なんだから俳句って楽しいですね。狭い庭の隅にコンポストを置いて野菜屑を放り込むと、時には腐りかけたジャガイモなんてのも在って、それから芽が出て、毎年のように育ちます。ただ、狭いところなのでどうしても連作障害でしょうか、だんだんと小さな薯になってしまいます。食べられそうなのを集めて茹でると何とも良い匂いですが、食べるとそうでもないのです。(1998年夏詠)

時々は甕の目高のさわぎけり

庭を掃いていると、時々水のはねた音がする。あれっ、どの甕かな?と見渡しても、どの甕の目高も静かに泳いでいるのです。またしばらく掃いていると音がする。今度こそ、と思って見るが、やっぱり静かなままなのです。こんなふうに今の私に時間は流れていきます。(2012年夏詠)

朝楽し甕の目高の寄り来れば

出勤前に甕を覗くと目高が寄ってくる。これが結構可愛い。眺めているとニ分や三分はすぐに過ぎてしまう。黒や赤や白や、最近は「ダルマメダカ」なんて言うのもいるらしい。今年は日に何度も覗くので目高も困っているかもしれないな。「餌もくれないで、いいかげんに働けよ!」と、言いたそうに見えなくもない。(2010年夏詠)