通勤途上のお宅、家の横を水量豊かな門川が流れ、柿の木の下に紫蘭が咲いている。庭先には洗ったばかりの黒い苗箱が積み上げられ、滴る水滴が朝日に光っている。家を離れてからはそれこそ年に数回帰るだけで、ましてや田植に帰った記憶はほとんどない。こういう風景を眼にする度に、また今年も時機を逸したと親不孝を後悔するのだったが、今となってはそれさえも叶わない。(2001年夏詠)
投稿者: 牛二
くちなはの先づは紋様確かむる
今年は蛇が多いと思ったが、毎日が休日で昼間に散歩することが多いからかも知れない。何度出会っても蛇には驚かされるが、そのぶん句にもなりやすい。昼間出会うのはシマヘビや青大将で驚きはするが、危険な蛇ではない。この辺りに出没する危険な蛇と言えば蝮であるが、生きた蝮に出会ったことはまだない。それでも一応はその紋様で安全確認をするようにしている。蝮には表面に銭型の独特の模様があり、腹にも不気味な斑点模様がある。体型は他の蛇に比べると短く太い。(2008年夏詠)
蚊柱の出来始めなる五六匹
いつもの散歩コース。土手の並木が途切れたあたりによく蚊柱が出来る。まだこの時季に出来る蚊柱は可愛いもので、五、六匹が頼りなげに宙に浮いていることが多い。風が吹くとふっと消えるが、またふわふわと集まってくる。(2010年夏詠)
里山の続きは深山桐の花
津山から高梁へは国道313号線を走る。昔に比べるとずいぶん走りやすくなったなあと、そんなことを考えながら走っていると、昔すれ違うのにも苦労した旧道と橋が見えた。止まってみると橋はすでに崩れかけており、通行禁止になっているようだった。その橋の向こう側には大きな桐の木があり、花をつけていた。昔はそのあたりに家もあったような気がするのだが、記憶は定かではない。(2008年夏詠)
桜桃の熟れ時鳥と見てをりぬ
我家に桜桃の木がある。子どもが小さい時に植えた木だが、たくさん実をつけるようになる頃には子どもは家を離れた。網もかけずに自然に任せているので、ほとんど鳥に食べられてしまう。鳥は利口で、羽音を忍ばせて毎日熟れ具合を確かめに来る。知らぬふりをしてギリギリまで待って、ちょっとだけ鳥より先にいただこうと思うのだが、敵もさる者。毎年の馬鹿な挑戦。(2009年夏詠)
ががんぼを抓んで放つ夜の闇
夜の静けさの中で机に向かっていると羽音がする。見ると大蚊が蛍光灯にぶつかりぶつかりしている。逃がそうとすれば必ず足の一本や二本は取れ翅は痛んでしまうので、果たして助けることになるのかどうか、と思いつつ抓んで窓を開けると、そこには夜の闇があるのだった。(2012年夏詠)
ぼうたんのゆれて百とも二百とも
路地多し同じ揚羽にまた会うて
岡山市庭瀬城址吟行での句。古い家と新しい家が混在する路地の多い町だった。家が途切れると畑があったりして、路地好きにはたまらない。ぐるぐる折れ曲がって行くと、あれっ、さっき見た揚羽だ、どこかに近道が、、、。(2011年夏詠)
ガーベラや鍵かけて出る独者
ちょっと見つけた朝の風景、たいした意味はありませんです。(2000年夏詠)
外は雨中は五月の絵画展
絵画展、それも素人の無料の人の少ない絵画展。入口には受付があり、芳名禄が置いてあるが誰もいない。こっそりと受付をすり抜けると、絵の前に佇んでいる人もまばらである。出る頃には受付に人が戻っていて、「ありがとうございました」と声をかけられる。そんな絵画展が好きで、図書館の帰りに寄ったりした。(1998年夏詠)