赤屋根の蒲鉾牛舎冬鳶

出張で大阪へ向けて中国道を走っている途中、播州平野に差し掛かった辺りで、遠くに赤い蒲鉾型の数棟の建物が見えた。そのはるか上空には鳶の姿があった。脇見運転をしていた訳ではなく、どちらも遠くの、ほんの僅かな時間の映像ですので、ほんとに牛舎(?)と言われると返す言葉はありませんです、、、。(2000年冬詠)

地震後の窓に静けき冬の月

鳥取県西部地震があったのがこの年(2000年)の秋だから、それより後の地震に敏感になっていた頃にあった小さな地震だったのだろう、目覚めると窓のちょうど見える位置に冬の月があった、、、。鳥取県西部地震があったのは、出張中の大阪の本社での会議中だった。相当揺れた。会議が終って部屋に戻ると「震源は鳥取らしいで、帰れんのとちゃうか」、慌てて電話を入れたが被害はなかったとの事だった。が、これを理由に早々に切り上げて帰途についた。高速道路はいつもより空いている感じがしたが、被災地へ向う自衛隊や放送局の取材用の車が何台も走っていた、、、。(2000年冬詠)

霜柱踏む新しきスニーカー

新しい靴を履くのは大人になってもうれしいものですね。新しい、それも少し奮発したスニーカーを履いて朝の散歩に出た時の句です、、、。子どもの頃の運動靴はよく靴擦れを起こしましたが、最近のものは見た目もいいですし靴擦れを起こすことも無いですね(新しく買ってもらう靴は、いつも大きめだったからかも知れませんが)、、、。(2000年冬詠)

初霜や畑に残る屑野菜

畝に収穫前の太った白菜が並んでいる。端っこのほうの収穫が終ったところには、根元から切られて株が残され、萎れかけた屑菜が散らばっている。白く見えるのは霜が降りているのだろう、早朝の畑は静寂そのもの、、、。(2000年冬詠)

掛大根子ども飛び出す納屋の口

掲句は何度か登場願った通勤途中の子沢山のお家の掛大根です。2000年だからその子ども達が小さかった頃の景です。納屋の入口のたくさんの掛大根に見とれていたら、いきなり中の暗がりから子どもが、、、。(2000年冬詠)

新涼や子の駆けて行く登校日

自分が小学生だった時の登校日ってどうだったろう?と、思い出そうとするのですが、これがさっぱり覚えていないのです。なかったはずは無いのですが、、、。そして、夏休みで覚えていることと言えば、最終日に必死で宿題をしたことです。今年こそはと最初の二三日は思うのですが、気が付けば、、、。(2000年秋詠)

白南風や大鉄塔に大落暉

句とは関係のない話です。午後のプールはお年寄りが多い。と言うとお前も年寄りだと叱られそうですが、私などよりもう少し年配のお年寄りです。泳ぐよりもウォーキングとおしゃべりを楽しんでおられます。そんな中のよく一緒になる八十前ぐらいの老人、先日ロッカールームでこんな話をされていました。「若い頃に、わしの爺さんがよう椅子に座って着替ようたんですがな。それを見て、ほんに横着な、なんで立って着替えんのかと思ようりました。それが何のこたあない、気がつきゃあわしが同じようにしとりますがな。爺さんが座って着替ようた意味がやっとわかりましたわあ、ハハハ」「ハハハ」と一緒に笑ったが、何と答えたらよいのか、、、。(2000年夏詠)