通勤途中の街角のあるお宅、昔は平屋の古い日本家屋で、老夫婦が住んでおられた。見るからに質素な佇まいのお宅で、老夫婦もまた静かな二人だった。いつの頃だったか、そのお宅が鍼灸院に変わった。変わったと言っても、入口の軒下にそれと書いた小さなボール紙がぶら下がっているだけで、お宅にとりたてて変わった様子は無かったが、老夫婦の代わりに白衣を着た中年の男性を時々見かけるようになった。それからまたしばらく時が過ぎて、そのお宅は取り壊され、二階建ての今風の家が建った。今度入られたのも老夫婦だった。ご主人は滅多に外で見かけることは無かったが、いかにも退職したばかりのような、まだ肩の辺りに力の入った管理職上がりといった感じの方だった。奥様は小さな方で、せっせといろいろな花を植えられ、一年も経つと家はすっかり花と緑に覆われた洒落た佇まいとなった。小さな門に絡まって鉄線の花が咲いたころ、ふと表札を見たら、鉄の字が入ったずいぶん硬そうな名前だった、、、。(2011年夏詠)
カテゴリー: 2011
なんとまあ玄関先に蛇の衣
昨日の青大将は散歩に行く河原の主のような蛇です。こちらは我家の玄関先、、、。昔から毎年現れるので、どうも先住権を持っているらしい。30Cmほどの薄茶色の蛇です。捕まえて、ちょっと離れたところに捨ててくるのですが、同じものかどうか、またしては現れます、、、。それが、あろうことか玄関先で脱皮、、、。(2011年夏詠)
拭きあげしビールグラスや麦の秋
「グラスはねえ、拭いちゃあダメよ。熱いお湯で洗ってね、そこの布巾に伏せといて。そうするとね、曇らないのよ。曇ったグラスは嫌でしょ」と、旅館でバイトを始めた最初に住み込みのお姉さんに教えられた。この日から洗い物をすると必ずこの事を思い出す。思い出しながら、拭きあげたグラスを棚に戻している、一人の土曜日の昼、、、。(2011年夏詠)
うす着して立夏の朝を楽しめり
「やっぱりまだ寒いね」なんて言いながら、その寒さを楽しんでいる。それも立夏ゆえだが、「今日から夏です」と喜んでいるのは、我々俳人だけでしょうか、、、。とは言うものの、今年はいつまでたっても寒い日がありますね。年齢のせいではないと思うのですが、、、。(2011年夏詠)
春風を通す国宝あけ放ち
考えてみれば、いつも開け放ってある国宝なんて珍しいのではないだろうか。閑谷学校の講堂、磨かれた床が光を返し、春風が通り抜けて行く、、、。(2011年春詠)
白蝶の花弁のごとく動かざる
暑くなったり寒くなったり、それがやがて暑くなったり暑くなったりになるのですが、まだ寒さの残る朝の草に白蝶がとまっていました。全く動かないので、遠目には白い花と見えたのですが、なんの花かと近寄ってよく見ると蝶でした。そうだよなあ、こんなところに白い花が咲くはずが無い、と納得、視力の衰え、、、。(2011年春詠)
一筋の人住む煙春の山
子どもの頃は、それぞれの家から立つ炊事の煙が、さようならの合図のような物でした。それがいつ頃までだったのか記憶に無いのは、たぶん成長して近所で遊ぶことが少なくなった頃と重なるからなのでしょう、、、。掲句、国道429号線を走っていて、遠くの山間に見つけた煙です。ああ、あんなところにも家があるのだ、と、、、。(2011年春詠)
親鳥のしつぽはみ出し鴉の巣
都会ではカラスが針金のハンガーで巣を作るとか、話題というか問題になっていますが、さすがにこの辺りでは小枝を使うようです。が、雑です。大丈夫なの?って言うぐらいスカスカでも平気なようで、下から見ると親鳥のお尻が半分ぐらいはみ出しているのです、、、。(2011年春詠)
声大き駅前タクシーうららけし
吟行の下見にと城東地区の古い町並を歩き、この辺りまでと決めて裏通りに入ると、普通に古びた裏町がある。水色のランドセルを背負った少女が三人、しゃがんで道端に咲いた花を見ながらおしゃべりをしていた。黙って通り過ぎようとすると、いきなり一人が立ち上がって「帰りました」と元気良く挨拶してくれた。あわてて「お帰り」と言ったが、いきなりだったので声の大きさで負けたような気がする、、、。掲句は閑谷学校吟行での集合場所、山陽本線吉永駅の駅前タクシーです、、、。(2011年春詠)
二階より望む燕のかよひ道
二階に限ったことではないが、高い所から眺める景色には心惹かれるものがある。二階より三階、三階より屋上と、高くなるたびに新しい景色が広がる。屋上まで来ると、それ以上は無理なので、翼が欲しいと思うようになる。叶わぬ夢、、、。掲句、我家の二階から眺めた燕の風景、虫を捕らえる時は自由に飛びまわっている燕も、それを巣に運ぶときは同じコースを通るようだ。空に道があるように、、、。(2011年春詠)