時々思いつきで知らない所へ行きます。調べもしないで行くものだから、途中で進めなくなり心細くなって断念することもあります。今回はその途中、心細くなったあたりで見つけた穴場のお話です。住んでいる所だって十分に山の中ですが、県北にはもっと山奥がたくさんあります、、、。川沿いに走っていくと、川も道もどんどん細くなり、すれ違うのもままならないような渓流沿いの道になってしまいました。心細くなって車を止め、窓を開けると気持ちの良い渓流の冷気が入り、いっしょに懐かしい河鹿蛙の声が聴こえてきました。子どもの頃には毎日耳にしていた声ですが、今では実家に帰っても耳にすることがありません。それが、ここには個体数も多いようで、何匹もの声がせせらぎの音と重なり、子どもの頃の田舎に帰ったようでした。車を降りてしばらくその声を楽しみましたが、その間車は一台も通りませんでした、、、。後日ネットで調べても出てこないので、やっぱり穴場と言えるでしょうね、、、。(2012年夏詠)
カテゴリー: 2012
空よりもまぶしき朝の植田かな
朝の、ほんの少しの時間のズレで、植田に反射する朝日が、まともに眼に入ることがあります。これは眩しい。どこを見ながら歩けば良いのだろうと思ってしまいます。昔もこうだったのでしょうか?それとも年取ったせいでしょうか、、、?(2012年夏詠)
夏つばめ水田に低さ競ひけり
梅雨の晴間の朝、植えられた田もこれからの田も、張られた水は落着いた光を見せています。燕たちはまるで低さを競うように、その水面ぎりぎりに飛んで行くのです。昔と比べると田植の風景はずいぶん変わりましたが、燕の飛ぶこの風景だけは少しも変わりませんね。日本の、今が一番美しい季節ではないかと、毎年そう思うのです、、、。(2012年夏詠)
髪上げて少女まぶしき更衣
昔ほど厳格な衣更えは無くなってしまいましたが、それでも六月に入ると急に、白いブラウスの少女たちを見かけるようになります。朝の涼しさの中を学校へ急ぐ、自転車の白いブラウスの少女たちが、急に大人びて見えたりします、、、。(2012年夏詠)
職人の早々あがる梅雨入かな
油断していたら梅雨に入ってしまいました。急遽昨年の梅雨入の句を、、、。庭にカーポートを作ろうと思いお願いした工事の最初の日が、ちょうど梅雨入の日になりました。朝から泣き出しそうな空模様で、すでに広島あたりは降っているらしい。職人さんは打ち合わせをしながら携帯で天気予報をチェックすると、「まあこの分だとあと二三時間でしょう。中途半端になりますから、今日は段取りだけで、天気になったら明日から本格的に入りますから」、ということで、さっさと引き上げてしまった、、、。(2012年夏詠)
水底の足跡深し余り苗
田植が終り水の濁りが治まった田圃の、水口のあたりに植えてある補修用の余り苗、やがてその用途が終ると捨てられるのでしょうが、ひとかたまりで風に吹かれている様は健気ですね、、、。田植が終ったばかりの田の脇の舗装路に、くっきりと裸足の足跡が残っていたことがありました。一目で女性と分かる可愛い小さな足跡でしたが、いつも逞しく働いておられるその人を知っているだけに、妙にくすぐったい気持ちになったものでした、、、。(2012年夏詠)
駅燕あまたの別れ見て育つ
また燕の句です、、、。これは津山駅の燕、久しぶりに早朝の駅頭に立ったときに、見下ろしていた子燕を見て詠んだ句です。この子燕たちは毎日沢山の人を見ているけれど、その中には出会いも別れもあるだろうなあ。出会いと別れのどちらが多いのだろう?別れのほうが駅には似合うかなあ。と、そんな事を考えているうちに、乗車の時刻になりました、、、。(2012年夏詠)
花は葉にサラリーマンは木の下へ
ハローワークやら各種手続きやらで昨年の春は瞬く間に過ぎてしまった。夏に入り少しだけ落着いた頃に誘われて岡山の句会へ出かけた。皆さん早目に来られて西川緑道公園あたりで当日句を作られると聞いていたので私も行ってみた。初めての場所なので早め早めに行動したせいか、思ったよりも早く着いた。さて吟行の前に、と、トイレを済ませ、落ち着いてあたりを見渡すと、すでに葉桜になった桜の木の下にベンチが置いてある。そしてそこには一目でそれと分かるスーツ姿の男性が座っている。同じような光景が広場のあちこちに見られた。一服していたり、鞄を抱えて手帳を眺めていたり、それは工場勤務だった私の知らない光景だった。ああ、これが平日の公園なんだと、、、。(2012年夏)
青年の一人弓引く青葉冷
近くに作楽神社(さくらじんじゃ)がある。神社は明治時代に創建されたものだが、古くは児島高徳の故事で知られる院庄館跡である。時々思い立って出かける私の吟行地でもある。その神社の社務所の裏手に弓道場と言うにはお粗末な、広場の端に土塁を築いただけの弓の練習場がある。休日の早朝、境内を歩いていると、矢を放つ時の小気味良い音が聞こえてきた。見ると、一人の青年が袴姿で黙々と弓を引いている姿があった。他に人の姿は無く、たった一人で姿勢を正して弓を引くその姿は、矢の放たれる音と相まって、見ているだけで身が引締るように感じられる光景だった、、、。(2012年夏詠)
残されし骸のいくつ鳥帰る
ある朝散歩に行くと、川にいる鳥の数が急に少なくなっている。離れ離れに何組かの番は泳いでいるが、昨日まで居た賑やかな団体の姿はなく、静かである。当たり前のことだが、この日は毎年突然にやって来る。「雁風呂」という季語がある。雁は渡りの途中に波間で休むために木片を咥えて飛んで来て、その木片を海岸に置いておく。北へ帰るときにはまたその木片を咥えて飛んで行くので、海岸には北へ帰れなかった雁の数の木片が残っている。その残った木片を集めて風呂をたて、雁の供養とする。というのが「雁風呂」だが、実際のところはどうなのだろう。どれくらいの数の鳥が命を落すのだろう、と、毎年のことながら、少し感傷的になる日でもある、、、。(2012年春詠)