霜の夜を走りてかろし猫の鈴

しんしんと言う音が聞こえそうな霜夜、突然部屋の外を軽やかに過ぎる鈴の音がした。例年節分を過ぎると待っていたように猫の恋が始まり、牽制しあう雄猫の声に夜の静寂が破られる。そろそろだろう、雄猫どもがそれに備えて雌猫にめぼしを付けて回るのは、、、。(2012年冬詠)

冬菜畑石で押さへる肥袋

農業をされている方の会話で「マルチ」という言葉がよく出てくるので、何のことかと思っていたら、よく畑に敷いてあるあの黒いビニールシートの事らしい。昔で言えばさしずめ敷藁だろうか。ほどよい間隔で穴が開いており、そこからイチゴや玉ねぎの苗がのぞいている。なるほど暖かいだろうし、草も生えない、敷藁よりよっぽど効果的だろう。問題は廃棄かな、敷藁なら土に帰るだろうが、、、。(2012年冬詠)

万両や狐住むてふ宮の杜

近所の小さな神社、確かに狐は住んでいるらしい。が、神社でその姿を見たことはない。本殿裏にいくつか並んだ末社の端っこにあるお稲荷さんには、小さな陶器製の赤い口の狐が鋭い眼光でこちらを見ているが、まさかこの狐が夜になると姿を変えて出歩くなんていうこともないだろう。とすれば、周囲の竹薮のどこかに巣穴でもあって、その中からこちらを伺っているのだろうか。と思いながら見渡す竹藪のあちこちに、自生した万両が赤い実を見せている、、、。(2012年冬詠)

冬ぬくし猫に開けおく通ひ道

岡山駅西口から駐車場へむけて路地裏を歩いていて見かけた景、通りに向いた板壁の下に小さな扉が開いていた。人間は通れない位置だから猫の道と勝手に推察した、、、。猫用に作る一般的な出入り口は、壁や扉の下部に押すとどちらにも開く小さなドアを付けるもの。一応風も防げるし便利だが、欠点は他所の猫まで入ってしまう事、、、。今の時代だから猫の首輪にセンサーを付け、愛猫だけを感知して開く自動猫の道を作ったら売れないだろうか、、、?(2012年冬詠)

参道の炬燵の見ゆる土産店

毎年初詣に行く真庭市の木山神社、もともと山上にあった神社を麓に移したとの事だが、それでも境内の手前には五十段の石段、その手前には長い坂道の参道が続いている。参道の途中に一軒だけ昔ながらの小さな土産物屋がある。たぶん初詣の期間だけの土産物屋だろう、民家の入口が木枠で透明なガラス戸になっており、背の低い木製の陳列ケースが数個、棚に数種類に土産物が並んでいるのが見える。その陳列ケースの続きに狭い座敷があり、その座敷を占領するような大きな炬燵が用意されている。明々と灯りを点し、客と主か毎年同じように、店にはお構いなしに炬燵に背中を丸め、話しこんでいるのが見える、、、。その土産物屋の続きに納屋や牛小屋がある。牛小屋に牛はもういないが、毎年新しい小さな注連縄が飾ってある、、、。(2012年冬詠)

しはぶきの一つ過ぎ行く窓の外

「アンソロジー合歓10号」の編集後記に書いた句です。夜、今も向っているこの机で、ちょうど編集作業をしている時に、窓の外を人が通って行きました。たまたま一つ、咳をして、、、。本来なら今頃は12号の編集をしている頃ですが、都合により少し遅れます。このブログを読んでいただいている方の中にも、もしかしたらそろそろと、待っていてくださる方があるかも知れません。ありましたら申し訳ありませんが、しばらくお待ちください、、、。(2012年冬詠)

枯野行く一つの影となりて行く

枯野を歩いていた。上空の声に見上げると、はるかな高みに鳶の姿が見えた。空から見ると、人間なんて小っぽけな物なんだろうと、そんな事を考えた。眼を落したその先に、自分の影が小さく見えた、、、。(2012年冬詠)

古書店の通路は狭し一葉忌

買うことは少ないのですが、古書店そのものが好きで、見つけると寄ってみます。そんな古書店の一つ、岡山奉還町の、句会への途中で寄道した古書店です。少しだけストーブの灯油の匂いがするお店でした、、、。今日は一葉忌、、、。(2012年冬詠)