秋夕日ポポの実ひとつ落つる音

ポポとか、ポーポーとか、ポポーとか呼ばれている北米原産の果物で、日本へは明治の頃に持ち込まれたらしいです。モクレン科で、真っ直ぐな木に朴のような葉をしています。果実は大きなアケビのようですが、色は緑、アケビのように熟しても割れません。味はなんとも表現が難しいですが、好き嫌いのはっきり分かれる味で、私はどうも、、、。植えたのはずいぶん前ですが、生り出したのはほんの数年前です。採り頃がわからず待っていると、熟したら勝手に落ちてきます。実も大きいので、音も大きな音がします。掲句はその瞬間です、、、。(2012年秋詠)

どれもみな笑顔の地蔵曼珠沙華

昨日登場の道の駅近くに円城ふるさと村があり、本宮山円城寺があります。その山門脇のお地蔵様です。道の駅と同じで、平日には人影もなく、ゆっくりと時が流れています、、、。母のところへ呼び出されることが増えていましたが、まだ亡くなるなんて思いもせず、平日なのを良いことに寄道をしては吟行をしていました。あれから二年、早いものです、、、。(2011年秋詠)

露座売りの椅子に居眠る秋日和

国道429号線は津山から山の中を通り足守に抜けます。途中の峠に道の駅「かもがわ円城」があります。小さな道の駅ですが、休日にはライダーで溢れ返ります。平日は、と言うと掲句のような状態で、ゆっくりとした時が流れています、、、。(2011年秋詠)

音たてて鯉が草食む秋の朝

何のこっちゃ、と言った句ですみません、、、。たまたま朝早く衆楽園に行く機会がありました。何年か前に池に鯉ヘルペスが発生して、今ではほとんど鯉の姿がありませんが、まだ大きな鯉がたくさん寄ってきていた頃です。池の周囲を巡っていると、岸辺でなにやら音がします。何だろうと覗いてみると、大きな鯉が何匹も岸辺に頭を出して、水際の草を食べているのです。池の周囲に何ヶ所かそういう光景が見られました。「へえ~、鯉も草を食べるんだ」と不思議な気がしましたが、これって、犬や猫が草を食べるのと同じような理由なのでしょうか、、、?(2002年秋詠)

伸びきつて畦に日を浴ぶ秋の蛇

蛇が好きな訳ではありませんが、田舎暮らしをしていると嫌でもお付き合いをしなければなりません。これは稲刈後の田圃の畦道の蛇です。蛇も秋が進むと暖かさを求めるようになります。昼間のほてりが残るアスファルトに暖を求めるのでしょう、朝の散歩では夜のうちに車に轢かれた蛇をよく目にします。そうそう、蝮の被害が多いのもこれからの季節と聞いたことがあります。野山の散策の際にはご注意を、、、。(2002年秋詠)

まつすぐに刈田横切り猫帰る

そろそろ稲刈が始まりました。見通しが良くなった田圃を縦断して、真っ直ぐに帰ってくる朝帰りの猫を見たときの句です。猫は本来夜行性の動物ですから、人間ならさしずめ夕方の帰宅と言ったところでしょう。一歩一歩新しい稲の切株を越えて来るゆったりした足取りには、満足の中にも多少の疲れが見えるのでした、、、。(2002年秋詠)

秋出水累々白き石の原

被害が出るのは困るが、一歩手前ぐらいの出水になると、河原に生えていた草も根こそぎ流され、溜まっていたごみも流され、きれいに洗われた石の原となる。流れや中州の形が少し変わり、新しく出来た湾処に水鳥が休んで居たりする。不謹慎ですが好きな風景です。心の中もこういうふうに時々洗い流せればよいと思うのですが、なかなか、、、。(1999年秋詠)

組体操少年秋の空にあり

組体操と言えばいつも一番上かその下ぐらいで、あまり楽しかったという記憶はない。最後に笛の合図で一斉に潰すのが組体操の見せ場だが、これは上のほうだったからか、痛かった記憶はない、、、。子どもの中学校の運動会が雨後のぬかるんだグランドであったことがある。こんな中で、と思うような中で組体操が進んで行き、見学席からは感嘆の声が上がっていたが、最後の笛と同時に上がったのはお母さんがたの悲痛な叫び声だった。退場門へ向かう子どもたちの体操服は一様に泥だらけだったが、子どもたちにとっては良い思い出になっただろう、、、。(1999年秋詠)

稲妻や闇夜に浮かぶ風見鶏

通勤途中に使われなくなった火の見櫓がある。かつては消防の器庫でもあったのだろう、錆びた鉄骨製の火の見櫓である。一番上に風見鶏がついているが、これも錆び付いているのか動いている気配はない。残業を終え、何となく怪しい雲行きを感じながら帰っていると激しい稲妻、見上げた夜の空に、くっきりとその風見鶏が浮かんだ。ちょうど稲妻に向かって鳴いているような形で、凛々しく見えた、、、。(1999年秋詠)