人消えてよりストーブの音高し

大勢でワイワイやっていると、気にはならないし、どうってことはないのだが、そんな部屋に一人取り残されると、急に周囲の音が気になり出す。人が去り、ストーブの火を消し、部屋を去るまでのわずかな時間、、、。(2008年冬詠)

枯蟷螂這ふとき鎌も使ひけり

冬に入り昆虫が少なくなった中で、蟷螂(それも枯色の)は比較的目にすることが多い。蟷螂はもともと飛蝗や蝗のように活発に飛び回る虫ではないが、この時季になるとよけいに動きが遅い。一日経ってもほとんど同じところに居ることがある。犬の鼻が近づくと、一応身構えるので、生きてはいるらしい。雌ならすでに卵を産んで、死にむかうところかも知れない。雄ならばそんな雌に食べられそこねてうろついてる、哀れな一匹なのかも知れない。(2010年冬詠)

水鳥のけんか水鳥遠巻に

散歩コースの吉井川では、今年は水鳥の出足が遅く、番の鴨を何組かは見かけますが、まだ群になっている姿がありません。昨年は十羽を越す群が何組もあって、そんな中の群の一つで見かけた喧嘩です。単なる内輪もめでしょう、周りの鴨たちはちょっと迷惑そうに見えましたので、、、。(2011年冬詠)

暁のターンと狩猟解禁日

後で調べてみたら、狩猟は11月15日の日の出の時刻に解禁されるようだ。即ち、ちょうど散歩の時刻になる。寒くなり、しだいに増えていた鴨が、この音でしばらく姿を消してしまう。ほとんどが一時避難し、何羽かが犠牲になるのだろうが、その何羽かを思うと辛い。(2011年冬詠)

着ぶくれて記念撮影押し合へり

津山市の文学の俳句部門で賞をいただいたのが2002年です。文化センターの会議室でセレモニーがあった後、ホールの玄関前に出て記念撮影がありました。西東三鬼の「花冷・・・」の句碑が見えるあたりです。その時に出来たのがこの句です。花冷どころか11月の寒い日でした、、、。その前年に佳作を頂きましたが、その時には「俳句はネットで、、、」と言うと、何人かの方から奇異な眼差しが返って来ました。一年経ってやっとネットでの俳句が認知され始めたのでしょう、この時には素直に受け入れていただけました。(2002年冬詠)

夜神楽の神と人とに同じ闇

神楽は宵祭の深夜まであります。神社の本殿が舞台と客席になります。本殿の外にも人が溢れ、さらにその外の一角で、焚火の火が赤々と燃え上がっています。一杯機嫌の大人たちは、炎の熱に顔を背けながら、最近見てきた神楽やら、神楽太夫の評価やら、神楽談義に余念がありません。神楽に飽いた子どもたちは、そんな大人たちの間にもぐりこんでは暖を取り、また本殿に戻って行くのです。(1999年冬詠)

夜神楽の酔のまはりし足運び

美作地方の祭は「だんじり」が主役になりますが、私の育った備中地方では「備中神楽」が主役となります。娯楽が少なかったこともありますが、子どもの頃から慣れ親しんだ太鼓の音を聴くと、今でも心がはやります。どうしても贔屓目に見てしまうのですが、全国にいろいろな神楽がある中でも、備中神楽は最高です。(2000年秋詠)

一夜にて落葉の道となりにけり

紅葉から落葉へと、季節の足は速いですね。一晩風が騒いだ後の朝の散歩、並木道はすっかり落葉に覆われているのです。そうしてやがて、車が通り、昼間の風が吹き、夕方の散歩の時には、掃いたようなきれいな道に戻っているのです。(2010年秋詠)