掃き寄する中にむくろの冬の蜂

いよいよ我家の落葉は山法師を残すのみとなりました。去年までは一面に散り敷いた一週間分の落葉を掃くのが休日の仕事でしたが、今年は毎日、落葉とおっかけっこをするように掃いてみました。掃いているうちに落ちてくる次の落葉をまた掃いて、これはこれで結構楽しいものですね。(2010年冬詠)

冬晴やゑびすの顔の鬼瓦

鬼瓦って言うぐらいだから、元々は厄除けの鬼の顔だったのだろうが、よく見るといろいろな鬼瓦がありますね。ちなみに我家の鬼瓦は「ガッチャマンです」と住宅メーカーの営業マンが言っていました。う~ん、そう言えばそうかなとも思いますが、ようするに安物です、、、。(2002年冬詠)

叱られし子に柊の花匂ふ

長年徒歩通勤をしたが、それは自分の歴史でもあるし、道すがらの家々の歴史でもあります。通りかかると「おっちゃん、おはよう」と言ってくれた幼稚園の女の子は、高校生になり、やがて子どもを抱いて里帰りをした姿を目にするようになりました。貰われてきたばかりだった子犬は、うるさい犬に育ったが、やがて年老いて眠るばかりになってしまいました。柊のある家の叱られてばかりいた男の子は、いつの間にか見かけなくなってしまったなあ、、、。(1999年冬詠)

石仏の朽ちし花筒竜の玉

何とも美しい青い玉を、子どもの頃は「くす玉」と呼んでいました。細い竹で鉄砲を作り、その弾として使っていましたが、大きさが均一で、青い表皮の下は白くて硬い球状で、鉄砲の弾には最適でした。それにたくさん採っても、ポケットに入れても、決して汚れることがないのが良かった。俳句を始めて「竜の玉」の名前を知ったが、すぐに納得できました。これほど最適な名前はないでしょう。(2000年冬詠)

木枯や無住寺閉ざす五寸釘

「人数が足りないみたいで安く蟹を食べに行ける」と言うので、急遽広島県の山奥の温泉へバスツアーに行ったことがあります。急に行ったことを理由にしますが、その温泉の名前が思い出せない、、、。川沿いのひなびた温泉で、川に向かって見晴らしの良い露天風呂がありました。少し歩いたところに橋があり、橋を渡ったところからお地蔵さんがならぶ坂道が続き、上りきったところにお寺がありました。普段は誰も居ないお寺なのでしょう、建物の扉はいかにも「入るべからず」と言うように、大きな釘が打たれていました。(2001年冬詠)

小春日や二階より入る引越荷

2000年だったのかと今思い出しています。隣の隣に新しい家が建って、引っ越して来られた時の句です。そう言えば我家の時も、箪笥やらベッドやらを二階から入れたなあ、上手いもんだなあ、と思い出しながら眺めていました。我家を建てた時は周囲は田んぼでした。夕方になると裏の線路を狐が歩いていくようなところでしたが、、、。(2000年冬詠)

スコップで狸入れられ塵芥車

狸は動作の遅い動物です。そのくせ人懐っこいものだから、人里近くに住み着いては輪禍に遭うのでしょう。掲句は出張で53号線を岡山へ走っていて目にした景です。作業をされている方の無造作ぶりが印象に残っています、、、。狸汁などと言いますが、実際は臭くて食べられないとか、狸はしばらく土に埋めておいて料理すれば臭みが取れるとか、子どもの頃に聞きかじった大人の知恵ですが、実際のところはわかりません。(2001年冬詠)

初冬のくず菜投げ込むコンポスト

もう三十年ばかりコンポストを使っています。残飯を堆肥にして土に戻すというアレです。市から補助が出て、ずいぶん安く手にいれた記憶があります。一杯になって来たら違う場所に穴を掘って移動しますが、その係は、もちろん私です、、、。昔は年に何回も移動していましたが、二人暮しになって残飯もめっきり少なくなりました。完璧かと言うとそうではなく、夏場は虫が発生したりもしますが、それでも飽きずに使い続けています。(2010年冬詠)

暖房の部屋に力の抜けにけり

緊張の糸がプッツンと切れて、身体中の力が抜けてしまう、温かい部屋にはそんな力があると思いませんか。倉敷まきび公園での吟行を終え、句会場のマービーふれあいセンターへ入った時に急に出来た句、当日出した七句のうちで最も採ってもらえた句。寒い日でしたね。(2008年冬詠)