時雨の季節になってきた。まだ秋だから秋時雨か、と思いながら詠んだ句。冬と秋の違いは空の明るさだろうか、雲が少ない、、、。(2012年秋詠)
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川舟の岸に干されて秋夕日
母の実家は吉備郡(現総社市)の草田というところだった。伯備線の日羽という無人駅(昔から無人駅だった)で降りて、渡し舟で高梁川を渡った。対岸に船頭さんのいる小屋があり、合図をして日羽側に来てもらっていたはずだが、どうやって合図をしたのか、記憶が定かでない。小さな舟にしゃがみこんで、舟縁を打つ波音を聞きながら、するすると川を渡って行く。舟の周囲には魚の群が見える。わずかな時間だったが、子どもにはスリリングな時間だった、、、。掲句の川舟は国道53号線を走っている時に見た旭川の川舟、、、。(1999年秋詠)
縄電車さくら紅葉を両側に
我家の子どもたちが小学校に通っていた頃も、町内の子どもの数は少なかった。以後、減少するばかり。滅多に子どもを見ることがない、、、。掲句、散歩の途中の桜並木の土手で、久しぶりに見た縄電車、乗客の数は少なかったが、、、。(2002年秋詠)
それ以上来るなと鵙が頭上より
今年はいつまでも暑く、秋が来るのが遅かった。それなのに、九月に入るともう河原の木には、蛙や虫たちが刺さっていた。それも日毎に数が増えて行く。いわゆる鵙の早贄。早贄だから早くても良いのかと、いいかげんな事を考えていたが、昨日通るとすっかり無くなっていた。人間が悪戯に取ることも無いだろうから、きっと鵙が食べたのだろう。鵙は贄を作って、そのまま忘れてしまうものと思っていたが、これは新しい発見、、、。一説には、雪国では鵙の作る贄の位置でその年の雪の深さが分かると言うから、間違いに気付いた鵙が、もう一度やり直そうとしているのかも知れない。今年の冬は寒いそうです、、、。(2010年秋詠)
鉄工所夜業の窓にアークの火
夏の間は、窓も大戸も開け放って、作業する姿が見えていた鉄工所も、秋が深まるにつれて窓も大戸も閉じられてくる。夜、残業を終えての帰宅途中に傍を通ると、閉じられた窓硝子のむこうに、溶接の青い火と飛び散る火の粉が煌めくのが見える。しばらく強く煌めいたかと思うと弱まり、また強くなる。その煌めきに合わせて、溶接の音が強くなり弱くなり、低く聞こえる、、、。(2001年秋詠)
閂で閉ざす社や銀杏散る
近所にある小さな神社、鬱蒼とした森の中の神社の周囲にだけ日差が降ってくるような所である。もちろん普段は宮司も居らず、お参りする人もほとんどいない。掃除も年に何度かの行事の時に行われるのみである。そんな神社なので、境内に点在する数本の銀杏の落葉が、境内やら社殿の屋根を覆いつくしてしまう。神秘的な光景がもうすぐ、、、。(2001年秋詠)
鰯雲検診車より吐出され
会社の健康診断はレントゲンと心電図の検診車、それに社内の空き部屋を使っての各種検査、最後に医師の簡単な問診と指導がある。医師は極端に若いか、現役を退いたようなお年寄りが多かった。何年も続けて同じ女性の老医師が来られたことがある。この方は、ご自分の人生経験を踏まえた、親切な若者を諭すような話し方で、好感が持てた。ある年特に相談したい事も無いので「先生、失礼ですけどお歳は?」と聞いたら「あなたねえ、レディーに歳を訊くものじゃあないわよ。八十を越えましたよ」と、笑いながらやさしく話された、、、。(1999年秋詠)
大南瓜仰せつかりし捌役
今年は裏の土手で南瓜が八個も採れました。少し遅かったので熟れ方が心配でしたが、何とか大丈夫でした。何個か食べました。何個かは貰われて行ったようです。あと数個、一つは冬至まで置いておこうと思っています、、、。もちろん、南瓜を切るのはいつも私の役目です、、、。(2010年秋詠)
子の部屋の灯りしままの夜長かな
そう言えば、こういう事もあったなあ、、、。(2000年秋詠)
去年よりコスモス増えし父の墓
父が亡くなり、一周忌に合わせて墓を作った。ついでに祖父母や曾祖父の墓の周りも周囲も整備してもらい、墓地全体がきれいになった。次の年にどこから来たのか、墓地の隅に一本のコスモスが咲いた。「きれいだね。度々も来られないないからちょうどいいね。このままにしておこうか」ということでそのままにして置いた。それから年々、コスモスは少しずつ増え続け、母の亡くなったこの年には、とうとう墓参りの邪魔になるほどになってしまった、、、。今は少しだけ残して抜くようにしています。コスモスに囲まれた墓もいいけれど、、、。(2011年秋詠)