川向こうのなだらかな山すそに畑が広がっている。収穫が終った畑に人影は無く、柔らかな午後の日差が降り注いでいる。道はまばらに点在する人家を縫うようにして山へと続いている。その人家が途切れた山の中腹あたりに、一目でそれと分かる寺の大屋根が見える。大屋根の傍には、お決まりのように大きな銀杏の木が、色づいて黄金色に輝いて見える、、、。県北を走っていて見かけた村の風景、、、。(2010年秋詠)
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老いたれば歩く他なしちちろ虫
いずれこうなって行くのだろう、と自分の姿を重ねてみる、事務所の隅に見つけた蟋蟀の歩く姿、もう冬なのに、、、。(2009年秋詠)
菊の鉢片寄せひそと忌中札
通勤途中の酒屋の店先には春夏秋冬それぞれの花や鉢物が飾られ、通り過ぎる間の僅かな時間であるが、私の眼を十分に楽しませてくれた。秋にはもちろん、大輪の菊が何鉢も飾られ、入口が分からないほどだった、、、。ある日通ると、その菊の鉢がすべて片寄せられていた。閉じられたままのガラス戸の内側に、色褪せた白いカーテンが重そうに垂れているのが見えた。そして、梁の中央に黒い縁取りの忌中札が貼られていた、、、。(2010年秋詠)
駅裏にぬけ道多しゐのこづち
句会への行き帰りに岡山駅の周辺を歩くようになって、駅の広さにも驚きますが、駅裏の道の多さにも驚いてしまいます。中には線路まで来て無くなる道とか、鉄道関係の会社でしょうか、いつの間にか敷地に入っていて抜けられず、知らぬ顔をして引き返したりとか、慣れるまでは大変でした。新しい道を見つけて歩くのも楽しみの一つですが、時には掲句のような、育ちすぎた牛膝にどうやってすれ違おうかと悩むような道も、、、。(2012年秋詠)
手をひろげ欅百年目のもみじ
国道53号線、御津のへんで見た欅の大樹です。欅の紅葉は黄もあり紅もあり、さまざまなようです。掲句、もともとは「黄葉」としていましたので、たぶん黄色だったのでしょう、車の中から見たひと際高い木の大きさと、形の良さだけが記憶にあって、色は曖昧です。もちろん、百年経っているのか、それ以上なのかも曖昧ですが、キリの良いところで、、、。(2012年秋詠)
プレス機のリズム夜業の紙器工場
冬になりましたが、しばらく秋の句を続けます、、、。前にも登場した紙器工場です。昼間に覗いて見ると、奥へ細長い雑然とした工場で入口に近いところに古びた機械があります。動いているところを見たのではありませんが、これがプレス機なのでしょう、夜に通ると入口に近いところから「カタコンパタン、カタコンパタン」とプレスの小気味良い音が聞こえていました、、、。(2010年秋詠)
行く秋の陽だまりに群れ煙草吸ふ
煙草ついでにこの句を、、、。職場の休憩時間風景ですが、私はこの頃にはすでに止めていました。止めてよかったです、、、。今日で秋も終りですね。(1999年秋詠)
園丁の咥へ煙草や菊日和
前のお宅で菊を育てておられる。軒下に何鉢もならべて、水遣りや手入れをされている。今年はスタートが少し遅かったようで、まだ大輪とまではいっていない、、、。それを見てこの句を思い出したが、どこで詠んだのかを思い出さない、、、。記憶に無くて良かったのかも知れない。時代は変わるのです。名のある名園で、園丁が咥え煙草で仕事をする、なんてことは在り得ないだろうから、、、。(2001年秋詠)
裏藪の小さき日だまり真弓の実
借家住まいをしていた頃、大家さんのところに行くと「真弓の木を貰って植えたんだけど、何年たっても実がならないの。抜こうと思うんだけど要る?もしかしたらもう少し大きくなれば実がなるかも知れないわよ」「はい」ということで我家に来た真弓は引越してからも持ってきて庭に植えたが、結局何年たってもならなかった、、、。掲句の真弓は、作句の年に裏の土手の竹薮で見つけた自生の真弓、木は小さいけれど、秋の日溜の中で赤い実がきれいだった、、、。(2002年秋詠)
柿もげば柿の冷たさ手の中に
子どもの頃にはよく柿採りをさせられた。学校から帰って姉と行くことが多かった。下から竹竿の先に割れ目をいれたもので採ったり、木に登ったりして採るのだが、木に登ると晩秋のこの頃は空気も冷たく、十分に冷えた柿は掌を冷やした、、、。今思えば、どうしてあんなに沢山の吊るし柿を作っていたのだろう?毎年窓という窓を塞いでしまうほどの吊るし柿を作っていた。それをきっちり消費していたのだから、、、。(1999年秋詠)