2011年の夏だから、たぶん会社で詠んだ句だろう、、、。(2011年夏詠)
垂直にビルの空あり夏つばめ
街には街の、田舎には田舎の燕が夏を謳歌している。考えてみれば燕はずいぶん適応性にすぐれた鳥だ。田舎の農家の静かな納屋の中でも、一晩中明かりの点った賑やかな都会の駅舎でも、平気で子育てをしている。燕は秋には南に渡り、また翌年戻って来るというが、都会で生まれた燕は同じ都会へ戻って来るのだろうか、、、。(2011年夏詠)
水遣りの水素通りに吊忍
まだ借家住まいの頃だから、かれこれ三十年前ということになる。実家に帰ると祖父が手慰みに作った吊忍があった。葉も少なく、色も若々しい、いかにも作りたてといった感じだった。私が興味深そうに眺めていたら、祖父が「やろうか?」と訊いてきた。「うん、ちょうだい」それでその吊忍は我家に来ることになった。以来三十年、少し痩せて形もいびつになったが、今年も青々と葉を出している。中に木炭を入れていると言っていたので、それが長寿の秘密かも知れないなあと思いながら、かけたそばから下に落ちる水を見ている、、、。(2013年夏詠)
泣菫の詩碑や角出し蝸牛
今日は長法寺へ紫陽花を見に行って、紫陽花の代りに出来たカタツムリの句。薄田泣菫の公孫樹下にたちての詩碑は参道脇の大銀杏のところにあります、、、。(2013年夏詠)
白紫陽花ほのと緑を透かせけり
掲句は車で通りすがりに見た街中の紫陽花です。今日ネットで何となく紫陽花の句を探していたら、渡辺水巴に「紫陽花や白よりいでし浅みどり」という句があった。あったからどうだって言うことではないのだが、これって私が見たのと同じような紫陽花なのだろうか?だとすれば、共感者がいたような気分がして、楽しくなってくる、、、。今日は夏至、、、。(2013年夏詠)
川幅を水の満たして合歓の花
私の生家近くの川は谷川に毛の生えた程度の細い川だった。だから通常の水量は高が知れていたが、ちょっと大雨が降ると川幅いっぱいの水量となった。それでも溢れる事は無く、子供心には水が引いた後に変わって見える川の様相が楽しみだった。今の住居は吉井川の近くで、さすがにそういう不謹慎な事を考えるより不安のほうが先にやってくる。それでも難なく時が過ぎれば、やはり大きな川幅を満たして流れる水には魅力がある、、、。(2012年夏詠)
地に低く猫の目のぞく木下闇
下津井、祇園神社での句。港町らしく神社の境内には猫が多かった。境内の外れの茂みの暗がりの中からも黒猫の緑の眸が二つ、、、。(2011年夏詠)
やぶ蚊出るはなぐり塚の石祠
吉備津神社近くのはなぐり塚での句、、、。近年蚊に嫌われているのか、あまり刺されることがありませんでした。それが今年は、なぜか早くから蚊に刺されるのです。蚊が多いのか、それとも油断しすぎなのだろうかと、腕の裏側を掻きながら考えているところです、、、。(2008年夏詠)
ほの見ゆる螺旋階段黴の宿
入社して五六年の頃だったろうか、福島県のとある工場に仕事をお願いして、その指導で一ヶ月ぐらい飯坂温泉に滞在したことがある。朝から温泉に入り、迎えの車で出勤、夜は温泉街を散策した。もっとも入社五六年の出張手当では、散策ぐらいが関の山だったのだが、、、。掲句は昨年、近くの寂れた温泉の、もう営業していない(?)ホテルの景、、、。(2013年夏詠)
選ばれて若竹となる五六本
手入れを怠れば竹藪、手入れをすれば竹林と言ったところでしょうか。手入れをされた竹林はきれいなものです。筍を採るためには適度な間隔が必要なのでしょう、間引かれて、選ばれた筍だけが空に伸びている、、、。(2013年夏詠)