失業認定日、朝からハローワークへ。書類を提出後しばらく待機、簡単な面接を受け書類に不備もなく失業中と認定される。これで数日中に銀行口座へ給付金が入金される。次の認定日用の書類を受け取り終了となるが、何度も足を運ぶのは面倒なのでついでに職業相談を受ける。これが結構待たされる。たぶん定年退職ですぐに働く気も無さそうに見えるから後回しになるのだろう、と思うのは偏見だろうか。待たされる間に受付を見ていると、老若男女さまざまな年代のさまざまな人がやって来る。これがすべて失業者なのか、今自分もその一員なのかと思うと複雑な気持ちになる。行く度にその思いが強くなる。相談員の当たり障りのない話に礼を言って外に出るとドッと疲れが出たような気がする。(2012年春詠)
家出猫戻らず三日春の雪
夜出してやると朝には戻って窓のところで待っている。「ゆき」はそんな猫だった。何日か帰らないことは前にもあったが、それが猫の習性と理解していた。しかしその時は違った。一日目から変な予感がして、通勤の途中に姿を捜したりした。次の日も帰らず、三日目の朝が雪となった。大きな春の雪がしきりに降っていた。なぜだか解らないが、もう帰ってこない。ふっとそんな気がした。(2011年春詠)
春寒の東院堂へ靴脱いで
これも奈良薬師寺での句。薬師寺の東院堂には聖観世音菩薩像、四天王像がある。と言ってもそのお姿を記憶しているわけではなく、東院堂へ靴を脱いで上がる時の靴下を通した足裏の冷えを記憶しているだけ。(2001年春詠)
薬師寺の塔の頂鳥交る
妻のお供のバスツアーで奈良に遊んだ時の句。梅が盛りを過ぎた頃だったが寒かった記憶がある。薬師寺の東塔の上から二羽の雀が賑やかに、縺れるようにして落ちてきた。下まで落ちるのかと思うと何層目かでするりと反転し、また上のほうへ飛んで行った。(2001年春詠)
光りつつ解けつつ白く別れ霜
今朝の風景。霜が降りた寒さの中にお彼岸らしい空が広がっている。実際は五月の連休ごろにも霜が降りることがあり、猫の額ほどの家庭菜園に植えた野菜苗が被害を受けることがある。その頃の霜を別れ霜と言うのだろう。まあ、季節を先取りするのが俳人だから、許されるかな。(2012年春詠)
病膏肓に入る
うたたねの父のおとろへ春時雨
今日3月18日は父の命日。年末に入院、肺炎ということなのに一向に良くならない、おかしいなと思っているうちに病院から呼び出し、肺癌で余命一ヶ月と告げられた。掲句はその一ヶ月目ぐらいの頃の句。まだ差し迫った感じはなかったが、痛み止めの薬のせいか無防備に眠る父を見るのは辛かった。病室の明るい窓を春時雨が打っていた。(2003年春詠)
食堂に若芽売り来て磯香る
社員食堂には実演販売や物売りの類がよく来た。若布売りもその中の一つである。食堂の丸椅子に着くとすぐに用意してあったスチロール製の小さな容器が配られる。中にはポン酢を垂らした深緑色の若芽が入っている。口に運ぶと若布の香りと一緒に海の匂いがする。美味。ほんの半口ほどしかないこの味につられて、おばちゃんたちは次々と大量の生若布を買うことになる。(1999年春詠)
初蝶のまだ飛べずゐる庭の冷
春雪や単線電車灯し来る
真冬に降る雪よりも春の雪のほうが記憶に残るのはそのはかなさからだろうか。掲句は姫新線の院庄駅と美作千代駅との間、降りしきる雪の中を、前照灯を灯した電車が大きくカーブしながら近づいて来るのが見えた。まるで映画のワンシーンを見るようだった。※姫新線は電化されていないので、本当はディーゼル車です。(2000年春詠)