コンピューターの道に足を踏み込んだのは今から二十五年ほど前になります。仕事柄休日に出て一人で作業することが増えましたが、苦にはなりませんでした。むしろ集中して思考の世界に浸れましたので、充実感で一杯でした。やっと一区切りついて、工場の重い鉄扉を押し開くと、そこには急に明るいグランドが広がっていました。(1998年秋詠)
こほろぎや事務所にもある虫の道
会社の築四十年にならんとする社屋は、増築と改築で何が何だか分からないように入り組んだ古い建物でした。あちこちに隙間が出来、事務所で使っていた場所にも床と壁の接点に小さな穴がありました。なぜか毎年その穴からこおろぎが現れ、事務所を横切ってはまた別の穴に消えて行くのです。昆虫だから毎年違う虫と思いますが、同じように、、、。(2008年秋詠)
出来うれば銀河の下に眠りたし
学生時代には夏になると旅に出ました。泊まるところといえば、良くてユースホステル、駅、テント、最悪が野宿でした。自転車で山陰を周ったときに松江の近くで野宿しました。資材置場のようなところでしたが、満天の星空で、銀河がきれいでした。野宿も慣れればどうってことはないのですが、今出来るかというとたぶん無理です。一睡も出来ずに夜を明かすことになるでしょうね。(2008年秋詠)
開け放つ夜学の窓に教師の背
レストランの窓際の席からは、道路を挟んで、進学塾のある小さなビルが見えた。一階はすでに灯りが落され、端っこに狭い二階への階段が口を開けていた。周辺には所狭しと自転車が止めてある。二階の開け放った窓には、煌々と灯る灯りの中で、机に向かう生徒たちの頭が並んでいた。時折教師らしい男の姿が現れ、後ろ向きに窓にもたれかかるような姿勢をし、しばらくするとまた明りの中へ消えて行くのだった。(1999年秋詠)
軋みつつ首振る秋の扇風機
今日は処暑です。今年はとうとうエアコンを使わずに過ごしました。この軋みつつ首を振る扇風機には、今年はとりわけお世話になりました。節電にはなりましたが、頭の中はいつもボーとした状態で、結局のところ生産性は悪かったように思います。長年の贅沢病が、そう簡単に治るはずはありませんものね。(2010年秋詠)
苦瓜の触れて匂へり蔓までも
糸瓜、ひょうたん、朝顔、ゴーヤと植えてみましたが、グリーンカーテンにはゴーヤが一番でした。色合い、葉の大きさ、強さ、どれをとっても最適でした。それに収穫した実が食べられるのも良いですね。赤く熟れた実が突然にぱっくりと割れて、種が飛び出してくるのはちょっと不気味な感じがしますが、飛び出す種の周りが甘いのはご存知でしょうか。(2010年秋詠)
涼風の一閃音の消えしごと
倉敷吟行での句。阿智神社の蝉音の中を独り彷徨っていると、突然風が吹いた。長い石段を登り汗ばんだ身体が一瞬涼しくなった。頭の中が空っぽになり、周囲の音が消えたような感じがした。(2011年夏詠)
犬の鼻触れて落蝉生き返る
散歩していると落蝉に出会う。落ちたときのひっくり返った姿のままで力尽き、やがて静かに死を迎えるのだろう。そんなところに犬の鼻が近づいて来るものだから、蝉はおちおち死んでも居られない。息を吹き返した蝉はジジジジと激しく鳴きながら、またどこかへ飛んでいった。(2010年秋詠)
すがり来て蟷螂の腹やはらかし
蟷螂のお腹の中には別の生物がいるのをご存知だろうか。ちょうど輪ゴムを切ったぐらいの太さと長さの糸状で、黒い色をしている。輪ゴムのように丸まったり、伸びたり、クネクネと不気味な動きをする。少年時代には何度も見たが、見るまでの過程は書かずにおこう。(2008年秋詠)
退屈な塩辛とんぼ寄つて来い
蜻蛉の中で一番馴染みのあるのは、やはり塩辛とんぼではないでしょうか。見かけるのも良く見かけますし、蜻蛉自体もからかっているのだか、からかわれているのだか、近くへ寄って来ることが多いですね。とまっている蜻蛉に指をぐるぐる回して、頃合を見計らって、捕まえようとするとするりと逃げる。しばらくするとまた同じところに戻ってくる。やはりからかわれているのは人間のほうでしょうね。(2011年秋詠)