井倉洞吟行・・・9月9日「合歓の会」の吟行で井倉洞へ行きました。そのときの句をまとめて・・・ <その1>津山から井倉洞へは、中国道を北房まで走り、北房から草間台のカルスト台地を抜けました。鍾乳洞の多いところです。途中で「羅生門」という大きな看板を見つけ、予備知識なしで寄道をしてみました。看板から畑沿いの道を少し行くと、今度は小さな看板で横道へ矢印、いきなり細い林道に入ってしまいました。対向車があったらどうしようと思いながら走りましたが、心配は無用、駐車場へ着くまでに出会ったのは、道の中央に落ちていた青栗の毬一つだけでした。もちろん、駐車場にも人の気配は全くありませんでした。-続く-(2012年秋詠)
カテゴリー: 2012
南洋にある台風の端の風
日差の暑さはなかなか収まらないが、吹く風には明らかに秋が感じられる。その風も、南洋に生れた台風の渦巻きの端っこの風なのかと思うと、少しだけロマンを感じる。なんてことを言うと、台風の通り道にお住まいの方に叱られるだろうか。(2012年秋詠)
売声を受けて流して夏柳
久しぶりの倉敷美観地区。観光客の増え始めた午前十時過ぎ。川沿いの土産物屋もぼちぼちエンジンがかかってくる頃。元気なうちに売っておこうと売子が声を張り上げる。そ知らぬ顔でベンチに腰を下ろし、俳句手帳を取り出す。客ではないと分かったかな、心なしか売子の声が小さくなったような気がする。風にゆれる夏柳の緑がきれいだ。(2012年夏詠)
水泳の育つ筋肉なつかしき
サラリーマン時代は、普通に食べて働いて、ほとんど体重の変化はありませんでした。体型のほうは、多少肉の種類が変わったり、付いている部位が変わったりしましたが、、、。と言うことで、水泳を始めて5ヶ月が経ちました。経過をみると、私の場合だいたい1300mから1500m泳ぐと、体重がトントンで維持できるようです。すなわち働いていた時は、毎日1500m泳いだぐらいのエネルギーを消費していたということになるのでしょうか、、、。失くした筋肉も多少は戻るようです。懐かしい程度ですが、、、。(2012年夏詠)
家ひとつ建ち上がる音梅雨晴間
散歩コースに古い造成地がある。出来たのはもう二十年以上前になると思うが、家が数軒建っただけで、後は分譲地の看板が何度か作りなおされて建ったぐらいのものだった。そこに車の出入りが始まり、やがて足場が組まれていった。建前は狙ったように梅雨の晴間の一日だった。よそ様の家ながら、遠くから見える空に伸びきったクレーンや、響いてくる高い槌音は気持ちが良い。何とか今日一日降らずにいてくれる事を祈るのみであった。(2012年夏詠)
蕉翁の墓前で蜘蛛の囲にかかる
義仲の墓にそひけり鴨足草
<その9>義仲寺は思ったよりも小さな寺でした。山門を入ると右手に受付、資料館、左手に植え込みと土蔵があり、少し先に巴塚、木曽塚、芭蕉翁の墓と続きます。参拝者の姿はなく、受付も空っぽなので躊躇しましたが、大きな声で二三度呼ぶと、奥のほうから女性の声がしました。狭い中に句碑が点在し、無名庵、翁堂、朝日堂と建物も多く、全体的には窮屈な感じがしました。幸い人が少なかったので、ゆっくりすることが出来ましたが。(2012年夏詠)
義仲寺へ十薬の路地ぬけにけり
前半で使いすぎましたので、いきなり義仲寺へ移ります。<その8>義仲寺へは膳所駅で降りて、徒歩十分と読んでいたのですが、お寺らしい建物が見当たりません。通りがかりの同年輩の夫婦らしい二人連れに聞くと、「曲がるところを一つ間違えましたね。ちょうど近くへ行くのでご一緒しましょう」。義仲寺の話をしながら少し引き返し、左折して路地へ。路地の脇には青々と茂っている十薬が見えました。路地を抜けると左を指して、「そこですよ。じゃあこれで」と二人は道を渡って行きました。義仲寺の小さな門とお堂が見えました。案内していただいたお二人、ありがとうございました。やっぱり私の定番、路地が出てきてしまいました。(2012年夏詠)
椎古りて菩薩に零す新樹光
<その7>観音堂から微妙寺へ向かう道は、三井寺の中では最も自然な感じの林の中の小道でした。派手な色彩の毘沙門堂が左手やや上に、若楓に隠れるように建っています。紅葉の頃の美しさが想像できました。右手の大きな椎の木の下には童観音菩薩、少し行くと左手に衆宝観音と、古くはありませんがどちらも比較的大きな石仏です。木々の間から朝の光が降り注ぎ、いかにも気持ちよさそうなお顔をされていました。少し歩くと力餅の売店に出ます。そろそろ休みたい気分でしたが、時間が早すぎたせいでしょうか、閉まっていました。推敲の結果ひとみ案を採用させていただきました。ありがとうございました。(2012年夏詠)
音たてて黴の戸ひらく修行僧
<その6>翌日はホテルのフロントに荷物を預け早朝から出かけました。三井寺へは拝観時間前に着いてしまいました。広い寺領に点在する建物のそれぞれで、朝の準備が進んでいました。そんな御堂の一つ、まだ周囲の窓が板戸で閉じられていましたが、急にがたがたと音がして内側から手が現れ、一枚ずつ順番に開けられていくのです。二方向ぐらいが開いたところで、頭を丸めた作務衣姿の若い僧が顔を出し、大きな声で挨拶をしてくれました。(2012年夏詠)