これは昨年の高松城跡吟行での句会場、高松公民館での句。暑い日だった。公民館二階の句会場は窓を開けると気持ちのよい風が入って来た、、、。(2014年夏詠)
カテゴリー: 2014
遠ざかる緑蔭いよよ暗かりし
木陰から晴天の大地へ歩き出して後を振り返ると、こんな感じ、しませんか、、、?(2014年夏詠)
水底に鯉連なりて夏の川
今年も農作業のために川の水量が増え、老釣師から聞いた通りに、鯉の産卵時期が来ました。鯉もまた人間の営みに合わせて産卵をするなんて、考えてみれば不思議な事ですね。それもわずかな期間に限られるのですから。数日前からその準備行動に群れている音が、半分草に隠れた岸辺近くで聞えています、、、。掲句の鯉はまったく関係の無い、ゆったりと泳ぐ、太った、半分飼われているような川の鯉です、、、。(2014年夏詠)
白鷺の映る十羽も動かざる
繁殖の時期なのでしょうか、川べりの大きな木に白鷺が群れていました。普段水の中で餌を狙って動かない鷺はよく見かけますが、木の上に止まった鷺はどうなんだろうと、しばらく眺めましたが、やっぱり同じように動かなかったのです。まさか木の上から水中の魚を狙っていることは無いと思うのですが、そんな鷺を眺めている暇人な私です、、、。(2014年夏詠)
窓開けて一両電車若葉風
通学通勤で電車やバスを利用した経験は無い。だから利用するとすれば旅行や遠足で、座席に着くと先ず一番に窓を開けていたような気がする。最近は電車やバスに乗ることも滅多に無いが、乗っても空調の効いた車内では窓は開けられない。それでかどうか、毎日眺める我家の傍を走る電車も窓を開けていることは滅多にない。だから、たまたま見かけた電車の風景が句となった。午後の通学時間帯、開いた窓の奥に白いシャツで風を受ける高校生数人の姿が見えていた、、、。(2014年夏詠)
コーチみな美人に見ゆる水着かな
ゴールデンウィーク後半のプールはまるで夏休みかと思うほど子供が多かった。暑いし出かけるのにも疲れたし、でお父さんお母さんにとっては程よいところだったのだろう。ゴールデンウィークが終わった平日のプールは途端に閑古鳥が鳴いている。もっとも泳ぐにはそのほうが都合がよく、常連はそれぞれ重ならないような時間を選んで、いつもの通りに泳ぎ、そしていつもの通りに帰って行く。私が泳ぎ終わるのはいつも3時過ぎで、それからしばらくジャグジーに浸かる。その頃になるとコーチが3時半からのスクールの準備に出てくる、、、。(2014年夏詠)
翡翠の来る川筋にある暮らし
「見てっ!」と言う風に少しだけ鳴いて、あとは一直線に川を渡っていく。川の中央付近で少し高度を下げ、しばらく瑠璃色の背を見せる。「おっ、翡翠」と気づく頃にはもう再び高度を上げ、そのまま向こう岸の茂みに消えてしまう。翡翠は比較的人家に近いところに居るが、警戒心は強く、なかなかじっくりと観察は出来ない。鳥に警戒されないようになれたら楽しいだろうと常々思っているが、なかなか、、、。(2014年夏詠)
義母+夫婦の暮し手毬花
ちょっと遊んでみました。「プラス」と読んでください、、、。近所のお宅、庭も畑も花で溢れています、、、。(2014年夏詠)
よしきりや瀬音高めし昨夜の雨
よしきりを知ったのは中学校の教科書に載っていた「行行子(よしきり)は鳴く/行行子の舌にも春のひかり」という草野心平の富士山の詩の一節でしたが、私の育った田舎によしきりの飛来はなく、その鳴声から付いたという行行子の名前も、知識として興味を持っただけでした。それが、今の住所に移って数年後のある年に、突然吉井川の中州から聞きなれない「ギョッ、ギョッ、シ、ギョッ、ギョッ、シ」という声が聞え始めたのです。「あ、これがよしきりだ」とすぐに分かりました。それから毎年、この声を聞くと、草野心平の詩を思い出してうれしくなります。心平の詩は春ですが、俳句では夏、この辺りではちょうど夏に合わせたように聞え始めます、、、。(2014年夏詠)
命あるものに幸あれ聖五月
歳時記で聖五月の項を見ると、カトリックでは五月は聖母マリアを讃える月と書いてある。そこから聖五月、あるいは聖母月という季語になったのだろう。五月は生命力に溢れている。命あるものはみな美しい、と思えるようになりたいが難しい、、、。(2014年夏詠)