相変わらず暑いので夏の句を、、、。(1999年夏詠)
月: 2016年8月
秋草の百草園となりにけり
暑さに勝てず、ほったらかしにしていた我が家の庭、雑草だけは見事に育っている。強い!旱なんてものともしない。掲句は昨年の庭、そして今年も、、、。(2015年秋詠)
涼風の来たればベンチ動かれず
どこに限らず、もうアカンと腰を下ろしたベンチにさっと涼しい風が吹いて来た時の気持ちよさは、何んとも言えない。しばらくは動く気になれない。掲句は西川緑道公園、、、。(2015年秋詠)
事切れて蛇一本の紐となる
また蛇の句です。自然は良くしたもので、たいていの場合はほっておいても、カラスやらトンビやら狐やらの餌になって片づけられてしまう。そうで無ければ夏の暑い日差しに焼かれてカラカラの干物になってしまう、、、。(2015年秋詠)
秋涼し風まつすぐに通る土手
川沿いにある土手の桜並木の、その端っこの辺、ここが一番涼しい。東西に開けている盆地の、最も東西が見渡せる位置とも言える。「あそこまで行けば涼しいからね」と犬に話しながら、実は自分に言い聞かせながら歩く。残暑はまだまだ厳しい、、、。(2015年秋詠)
ペタペタと鳴らすサンダル秋暑し
窓の外を人が通る。ぺたぺたと音がするのはサンダル履きだろう。それも複数。黙って、、、。(2015年秋詠)
戦争を知らぬ我等の終戦日
母は時々戦時中の事や岡山の空襲の事を話してくれたが、父からその時代の事を聞いた記憶は無い。終戦当時水島で飛行機を造っていた事も、父からではなく他の家族から聞いた。父が亡くなり初盆の時に、知らない名前の方から盆提灯が届いた。この時に初めて、父が当時の仲間と同期会を作り活動を続けていたこと、その知らない名前の方がその中のお一人だという事を母が話してくれた。子供の頃の記憶では、父に限らず、周囲の大人はあまり戦争について話したがらなかったような気がする。まだ戦後の色濃き時代だった、、、。(2015年秋詠)
空蝉のすがりし形みな同じ
西川緑道公園での句。岡山での句会がなくなって西川緑道公園にもしばらく行っていない。きっと今頃は頭の中にまで響いてくるようなクマゼミの声に覆われていることだろう。注意して見ると下の植え込みの中には無数の蝉の殻が見つかる、、、。(2014年秋詠)
軽鳧の子の金魚の糞となりて行く
こちらはカルガモ、まだ幼い、、、。(2015年秋詠)
秋燕の親子揃へば姦しき
そろそろ南へ渡る相談でしょうか、今朝も電線にならんでしきりにおしゃべりをしていました。巣立ってしまえば皆同じ、どれが親やら子やらわかりませんが、みんな楽しそうです、、、。(2015年秋詠)