万緑や死したる後は散骨に

故郷を離れ家を構えると、そこから新しいお付き合いが始まります。葬式のお手伝いもその一つで、ずい分させてもらいました。土葬の経験こそありませんが、自宅で葬儀のすべてが行われていた頃は大変でした。祭壇や飾り物の準備に一日、当日も受付や駐車場の整理などと一日取られます。葬式の前だったか、後だったか忘れましたが、一人に返って万緑の中に立った時、ふと散骨のことを思いました。まだ父も母も故郷に健在だった頃なので、さして深く考えてのことではありません。その後父を送り、さらに母を送り、そろそろ次を考えても良い頃になりましたが、その選択肢はずい分増えて来ましたね。(2000年夏詠)

雨後の空の明るさ青胡桃

河原に生えている胡桃の木は鬼胡桃という種類で、食用にする栽培種とは大きさも硬さも違います。小さくて硬くて、割っても食べるところは殆どありません。この時期の胡桃はその外側に青い皮が付いていて、ちょうどゴルフボールぐらいの大きさです。その実が房状に下がって生っています。青胡桃はよく見かけるのですが、秋になり、色が変り始めるといつの間にか無くなってしまいます。テレビのCMではないですが、利口な鴉が持っていくのかも知れません。(2001年夏詠)

鳥鳴いて鳥が応ふる梅雨晴間

吉備津神社の裏山に「あじさい園」がある。急な斜面にたくさんの紫陽花が植えられており、紫陽花を見ながら細い山道を登るのだが、これが結構しんどい。登りきったところに岩山宮という小さな社がありベンチが置いてある。ここに腰を下ろして下界を見下ろしていると鳥の声がする。四十雀だろうか、山の上のほうで声がすると、それに応えるように下のほうからも声がする。これが何度も何度も繰り返されるのである。(2008年夏詠)

形代の犬猫の名も流れけり

七月になると郵便受けに氏神様の封筒が入ります。中には半紙を切った形代人形が数枚入っており、それに家族の年書をして初穂料と一緒にまた封筒に戻します。これを子どもに持たせて七月十四日の夏祭にお参りさせます。茅の輪くぐりなどもありますが、受付で封筒を渡すと一回引かせてくれる福引が子どもの一番の楽しみです。公明正大な福引かどうかわからないですが、たいていは安物のチューブに入ったジュースや駄菓子の袋を持って喜んで帰って来るのでした。(2002年夏詠)

青りんご盥の水を溢らしむ

学生時代の夏、東北のとある山の中の停留所に降りた時のこと。昔は田舎に行けばどこにでもあった、停留所脇のよろず屋ふうの小さなお店。店先の盥にホースの水を流しっぱなしにし、拳ぐらいの青いりんごをたくさん浮かべていた。安かったので二個買った。一つはリュックにしまい、一つを齧りながら歩いた。焼けるような夏の日差の下で、りんごの酸っぱさが口に広がり、一度に汗が引くような感じがした。(2002年夏詠)

青柿や猫の寝そべる風の道

暑ければ涼しいところを、寒ければ暖かいところを、猫は実によく知っている。その一つが風の通る柿の木の下であったりする。無防備かというとそうでもなく、眼だけは常に人間を追っている。「また来たか。まあ、このまま静かにしておこう。人間なんてすぐに気付かず行ってしまうさ」ぐらいの顔をしているように見える。(2000年夏詠)

白南風やからから回る土竜除け

白南風も黒南風も海が近いところの風と思いますが、海から遠く離れていても気分としては白南風や黒南風を感じられるのです。そして好きな季語でもあります。それがこういう句になりましたが、海に近い方どうでしょうか。明るい日差の中、強くもなく弱くもなく吹き続ける風、畑には土竜除けのペットボトルで作った風車が数本、カラカラ、カラカラと鳴り続けている。(1999年夏詠)