土地にはそれぞれ匂いがあって、例えば工場街であれば、それは油の匂いであったり塗料の匂いであったりする。掲句は岡山のJRの機関区の近くの工場街、一角に小さな公園がある。時たま子供連れの若いお母さんに出会うぐらいで、いつも閑散としている、、、。(2013年冬詠)
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チェンソーの音の強弱冬の山
昨日の続きです。「どうやって○○に決められたのですか」「土地はねえ、30年ほど前かなあ、金があったのでいずれ別荘でもと買っておいたんですよ」「山の中をですか?」「いや、その時はちゃんとした別荘地でしたよ。それがね、来てみたら別荘地が密林になっていたんです」「・・・・・」「他には家なんてありません、隣の家といえば3キロ先ですから」何とも、、、。(2013年冬詠)
冬川原かくすべき物何もなく
プールの後のジャグジーで、70代と思われる年輩の方と暖房の話をしていると「小屋」と言う言葉が度々出てくる。どうも理解出来なくて「失礼ですけど、どこで暮されているんですか?」と聞くと「○○です」「○○と言うと、棚田のある○○ですか?」「いや、あそことは反対側かな、山の上の小屋に一人で住んでいます。寒いですよ、冬の間は雪がありますから」「えーっ、昔からじゃあないですね?」「ええ、70歳を過ぎて、家族と別れて大阪から来ました。最初の夏の間はテントでくらしていたんだけど、雪が降ってきて冬が越せそうにないので小屋を建てました」。何やらまた面白い方と知り合いになれようです、、、。(2013年冬詠)
身を寄せてすれ違ふ路地花八手
何度も登場した路地の、これも登場したことのある花八手です。ちょうど路地を抜ける手前の塀の上から覗いています。いかにも日本的な路地でした。先日通ったら路地を出たところにあった小さな衣料品店が改装中でした。また一つ思い出の風景が消えていきます、、、。(2002年冬詠)
冬眠のペットの亀や母老ゆる
古い句を続けます。夏ぐらいだったか、玄関に小さな新しい水槽があり、小さな草亀が浮かんでいた。聞くと雨の日にどこからか庭にやって来たらしい。手間もかからないし、父母にとっては格好のペットのようだった。冬に帰るとその亀が動かなくなったと心配している。それはそうだろう、もうとっくに冬眠の時期だからと説明して、ちょっと暗い静かなところに移動してやったが、さて翌年の春にどうなったか聞かないままで、父も母も逝ってしまった、、、。(2001年冬詠)
くさめして父の一枚着せらるる
これも古い句です。たぶん黴かなにかのアレルギーだと思うのですが、実家に帰るとくしゃみが出るのです。それもひっきりなしに。寒いわけではないのだが、と思いながら、母の出す父の服を素直に着られるようになったのは大人になってからでした、、、。(2001年冬詠)
暮早し老舗旅館の長廊下
旅館に泊まること自体がなくなってしまいましたが、昔はありましたね、建増し建増しで迷路のように廊下がつながった旅館が。安く泊まろうとするものだから端っこのほうの部屋で、食事に指定された広間まで行くのに迷子になってしまうようなことが、、、。それはそれとして、掲句はれっきとした老舗旅館、、、。(2000年冬詠)
ひげ面の男正座で注連作る
昨年の11月28日の日付がある。倉敷阿智神社での句。境内の一角の周囲をビニールシートで囲ったテントの中で、男性が三人並んで注連縄を作られていた。少しだけ見学させていただいたが、本殿の正面に飾る大きな注連縄の部分とのことだった。流石に大きな神社ではこの時期からもう注連縄の準備をされるのだと感心したものだった、、、。(2013年冬詠)
凩や露店に並ぶ金時計
今年は早々と10月に木枯一号のニュースが流れた。あの日は「んっ?今日の風はまるで木枯のよう」と思ったが、ホントに木枯だったようだった、、、。掲句はさっぱり記憶にないのだけれど、2001年の句稿にあった句。近辺の句を見ると、この年の町内会の旅行が出雲大社だった。その時の句かも、、、。(2001年冬詠)
猫の目の縦一文字小春凪
ついでに、昨日の句と一緒に書いていた猫の句です、、、。(2001年冬詠)