「ああ、やっと雨の季節になった」と久しぶりの雨音を聴いていると、遠くでドロドロと音が混じる。春雷だ。とたんに雨音が激しくなる、春雷は一度っきり。虫出しと言うには優しすぎる音だった。(2012年春詠)
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日々の音こぼるる路地や豆の花
好きなものの一つに路地がある。路地には生活の音が溢れている。もちろん静かな路地もあるが、それは異次元への通り道のような路地で、そこを抜けるとツンと澄ました表通りとは違った世界が広がっているのである。路地を抜けると通りがあって、さらに次の路地があって、さらに通りがあって、というような迷子になりそうなところは特に好きだ。掲句は岡山市庭瀬城址吟行での句。新しい家と古い家が混在する住宅街、家の間を抜けると小さな畑があり、豌豆の花が咲いていた。日曜日の朝の音が零れていた。(2011年春詠)
花万朶空に日陰のなかりけり
種ひたす机の上の洗面器
会社で三年間グリーンカーテンに挑戦しました。長老のHさんにリーダーをお願いし、一年目は試行錯誤でなんとか物にし、二年目は前年の経験を活かして立派なグリーンカーテンに仕上げました。三年目をスタートしたところで事業所の移転計画が持ち上がり、すでに苗を育て始めていましたが中止としました。苗は各自持ち帰り、自宅で育ててもらうことにしました。掲句は二年目、ネットから得た知識をもとに、前年採って置いた糸瓜や朝顔の種を浸し、会議用の机の上で毎日観察していた頃の句。ISOの活動の一環で始めたグリーンカーテンですが、他の何をやった時よりも全員の和を感じた楽しい活動でした。Hさんお世話になりました。皆さんそろそろ自宅で活動を始められている頃でしょうか?新しいお仕事は決まりましたでしょうか?(2010年春詠)
伸ぶるだけ伸びて土筆の痩せにけり
今年も土筆のシーズンになりました。手はかかるけど美味しいですね。採ろうかな採ろうかなと思っているうちにこんな風になってしまった会社の正門脇の植栽の中の土筆。遊休地だらけの会社でしたので、土筆はそこらじゅうに生えました。で、時々昼食時に、「会社の土筆、食べます?」と、ちゃんと料理したものを頂きました。「いつ採ったの?」なんていう野暮な詮索はもちろん無しです。(2011年春詠)
春の海浚渫船の重さうに
十二月、一月と退職までの二ヶ月間を阿南(四国)で過ごした。普段は山の中で暮らしているので、とにかく海を見ておこうと思い、行き帰りには暗くても必ず与島パーキングエリアに立ち寄り海を眺めた。平日の朝は海の見える阿南公園に登った。天気が良さそうだからと、休みをとって室戸岬まで走ってみたりもした。そんな中で手帳に書きとめた句、すなわち冬に出来た句。満を持して句会に出したら先生に「一読して<海凍てて浚渫船の重さうに>じゃないかと思いました。」と言われてしまった、、、。慰めの言葉はいらないのです。スミマセン反省しています。げに恐ろしき俳人富阪宏己先生。(2012年春詠)
雨戸繰り蜂と目が合ふ二階かな
考えてみれば、蜂に表情などあるはずもないが、ふと目があった瞬間に困ったというような顔に見えたのは、自分の心の投影だろうか。次から次に新しいものに出会う。良い季節になった。(2012年春詠)
旅鞄かかへて眠る鳥曇
岡山駅二階コンコースでの風景。子どもを試験か何かで岡山へ連れて行き、空いた時間に駅を一人吟行。岡山駅も駅周辺も今は変っていると思うが、最近は利用する機会もなくご無沙汰。子どもを連れて行くことも無くなった。渡り鳥はどうやって帰る時季を判断するのだろう。俳人は春になれば待ってましたと「鳥帰る」や「鳥曇」を使うのですが、、、。(2002年春詠)
寄り添ふて水脈ひとつなる残り鴨
いつ帰るのだろうかとやきもきしているうちに、ある朝突然に居なくなっていることに気付く。残った番の鴨が寄り添って水面を滑っている。どんな理由で帰る鴨と残る鴨に分かれるのだろうか。残っているのは前から二羽だけで行動していた鴨だろうか。なんてことを考えたりするが、帰った鴨も残った鴨も同じ顔で見分けがつかない。寂しさのある季語と思う。(2008年春詠)
上ばかり見てつまづきぬ花の下
倉敷酒津吟行句。酒津へは小学校の遠足で行ったきりで、土手を越えた記憶と、ぬかるんだ道があった記憶だけで、風景などは全く覚えていなかった。たぶん当時とはそうとう変っているのだろうと思いながら歩いていたら大きな石碑があった。う~ん、かすかに見たような記憶が、、、。散りかけた桜に見とれていたら走り根に躓いてしまった。(2009年春詠)