メーデーや事務所に残す電話番

携帯電話の普及でこういうこともなくなったであろうし、メーデー自体もずいぶん変わったと思う。積極的に組合活動をしたほうではなかったが、どうしても逃れられずに役員をしたこともあった。戸の開け閉めにも苦労するようなプレハブの組合事務所には、大きな電気ポットがあり、各種のカップ麺が常備されていた。もうもうと立つ紫煙の渦と、輪転機のインクの匂いと、若さだけはあった。(2002年春詠)

朝つばめ川面の影にふるるほど

時に左、時に右と舵をとりながら、実際時々は水面に触れているのだろうと思えるぐらいの位置を滑って行く。天候や風向き、気温によって餌となる虫のいる高度が異なるのだろう。いつもこうとは限らない。それにしても、すごい動体視力だと思う。(2009年春詠)

春炬燵父に無心の迷ひ猫

晩年の両親はいろんな動物を飼っていた。ある時は九官鳥であったり、ある時は亀であったり、ある時は猫であったりした。帰省する度に新たな家族が増えたり減ったり、入れ替わったりした。その猫は見慣れぬ私など気にせず炬燵の父にしっかりとスリスリし、父も「どこから来たかわからん」と言いながら満更ではなさそうな顔で餌をやるのであった。(2002年春詠)

道一つ外れ春子の榾並ぶ

「春子」は春に採れる椎茸。生家から二十メートルも行けば山に入る。たいていの道は知っているが、こんな所にと思うような所に覚えのない道があった。少し入ると行き止まり、深い日陰の中に椎茸の榾木が何列も並んだ場所に出た。ぷくぷくと丸いのや、開いたのや、瑞々しい椎茸が所狭しと生えていた。あまりに美味しそうなので、中でも美味しそうな所を見繕って数本頂いた。もちろん誰の山かは分かっているので、後でお礼をしておきました。(2009年春詠)

ふるさとは間近に笑ふ山ばかり

私の生家は小さな川を挟んで両側から山が迫ってくるような山の中にある。右を向いても山、左を向いても山、山の上に空があり、山の向うに知らない町がある。そんな幼少期だった。子どもたちは春になると弁当を持って連れ立ってお花見に出かけた。鴬が鳴きつつじの花咲く中でひとしきり遊ぶとお腹が空いてくる。時計を持っている訳ではなく、意見が一致したときがお昼となる。そもそも弁当が目的のようなものなので、食べるとすぐに帰途につく。そして、人里まで戻ってくると畑の大人たちに笑われるのである。時刻はたいてい午前10時か11時ごろだった。(2009年春詠)

日々の音こぼるる路地や豆の花

好きなものの一つに路地がある。路地には生活の音が溢れている。もちろん静かな路地もあるが、それは異次元への通り道のような路地で、そこを抜けるとツンと澄ました表通りとは違った世界が広がっているのである。路地を抜けると通りがあって、さらに次の路地があって、さらに通りがあって、というような迷子になりそうなところは特に好きだ。掲句は岡山市庭瀬城址吟行での句。新しい家と古い家が混在する住宅街、家の間を抜けると小さな畑があり、豌豆の花が咲いていた。日曜日の朝の音が零れていた。(2011年春詠)

花万朶空に日陰のなかりけり

数限りなく詠まれてきた桜をどう詠んでも類句類想の域を出ないだろう、とは思いつつ毎年詠んでしまいます。写真は毎日眺めて通る土手の桜です。引っ越して来たのも四月でした。私の背丈ほどの木が慎ましく花をつけていました。その木がこんなに立派になりました。私が見てきたぶんだけ桜も私を見てきたのだと、ふとそんな事を考えました。昨日が満開でした。(2010年春詠)