子どもの頃の寒い冬の日、近所の庭に落ちている大きな蜂を見つけた。全く動かないし、てっきり死んでいるものと思って、手を出した途端に親指に痛みが走った。泣きそうなぐらいに痛かったが、他にも子どもがいたので泣かなかった。結局家に帰っても叱られそうで親にも言わず、数日間ひたすら我慢した。幸い刺され所が良かったのか、見つかるほど腫れもせず事なきを得た。それでもって蜂は動かなくても触るべきではないことを覚えたが、それからも何度も蜂には刺された。今年の夏散歩の途中で久しぶりに足長蜂に刺されたら、腕がずいぶん腫れあがった。子どもの頃の免疫がなくなっているらしい、、、。(2012年冬詠)
投稿者: 牛二
時雨るるや木枠の窓の磨硝子
木枠の窓も磨硝子も見かけることが少なくなりましたね。もちろん機能的にはアルミサッシや色ガラスのほうが優れているのですが、下手をすると外れてしまいそうな閉めるのに苦労する木枠の窓や、割れて一部分だけありあわせの透明ガラスを入れた、隙間から北風が入ってくるような窓が懐かしいですね、、、。(2012年冬詠)
百枚の落葉百態花水木
庭の木々も少しずつ落葉の時期がずれています。今はハナミズキが盛んに散っています。少し捩れた形の葉っぱはそれぞれが異なった形と色をしています。紅い中にまた模様があって、落葉の数だけ楽しめます、、、。(2013年冬詠)
パティシエの帽子の高し木の実降る
昨日は「明日から冬の句」と書いておきながら、よく考えたら「木の実降る」は秋の季語ですね。冬に詠んだ秋の句です。岡山の喫茶店での句会、最初は「冬木立」で出したのですが、皆さんからのもう一つとのご意見で、「木の実降る」に変えました。で、角川の俳句に投稿したところ、小島健さんの秀逸に入りましたよ!句友の皆さんのおかげです。句会の前、イトーヨーカドー付近での景です、、、。(2013年冬詠)
行く秋と思へば白き風の音
早いようですがやっと今日の日がやってきました。秋は思いのほか過去に詠んでいる句が少なくて、このブログを書き続けるのに苦労しました。明日から冬の句になりますので、またしばらくは大丈夫です。一日一句のなんと難しいことよ、、、。(2013年秋詠)
晩秋の日差の中の部屋埃
気が付くと南側のガラス戸から斜めに入った午後の日差が机の下にまで到達している。こんなにも太陽は低くなったのかと感慨に浸りながらガラス戸のほうを見ると途端に現実に引き戻される。光の中を部屋の埃がまるで綿虫かなにかのように浮遊している。ずいぶん長い間掃除機もかけていないような気がする、、、。(2011年秋詠)
お役所を巡りて釣瓶落しかな
いよいよ日暮が早くなって来ましたね。掲句は母が亡くなった年の秋、後の手続きに役所巡りをしたときの句です。津山を出発して、高梁、総社の市役所へ、その途中で実家へも寄ったりして、手続きが終わって外に出るともう夕暮、役所の手続きは難しい、、、。(2011年秋詠)
烏瓜つつく鴉や文化の日
烏瓜と言うぐらいだから、鴉がつついても何の不思議はありませんが、何となく面白く感じた光景でした。これも文化、、、。(2011年秋詠)
山上の三角点や鳥渡る
子どもの頃、その辺りで一番高い山の上に三角点があると聞いて、いつか見に行こうと思っていたが、結局その山には登らないうちに故郷を離れてしまった。初めて三角点を見たのは、学生時代に部活仲間と登った那岐山の山頂だった。これが見たかった三角点かと思ったが、それよりも山頂からの眺めのほうがすばらしく、見たという記憶だけが残った。その後も何箇所かで三角点を見たが、どこも山上の見晴らしの良い場所だった。鳥はそれよりもはるかに高いところを渡って行くのだからすごいものだと思う、、、。(2011年秋詠)
秋夕日一人になれば肩落し
今はそんな事もないのですが、勤めていた頃はそれなりに努力はしていましたし、緊張もしていました。それが、仕事が終わり一人取り残されて夕日を見たりすると、ふっと力が抜けるのです。今は力が抜けどおし、、、。(2010年秋詠)