近所に親子で庭師をされている家がある。親父さんは私より少し年上で、かつてはサラリーマン、中年になって庭師に転職された。奥さんは私の勤めていた会社の先輩で、入社当時からお世話になったが、今は社長婦人と言ったところ(未だに私は「あんた」と呼ばれる)。息子さんは私がここに住みだした頃は確か高校生だった。私の自宅の庭は自分で手入れをするので未だかつて頼んだことがないが、この近所でもよく親子で仕事をされているのを見かける。それぞれが高い脚立の上で、微妙なリズムで響かせている二つの鋏の音が、心地よい、、、。(2013年秋詠)
投稿者: 牛二
機関区の油の匂ふ秋の風
句会の場所が変わってから、機関区の側を通ることがなくなったなあ。あの油の匂いの混じった風が懐かしい、、、。(2013年秋詠)
老釣師もどり来る手にさくら蓼
久しぶりに遭遇した老釣師、「今日は鮎を掛けよう思うて、」「へえー、落鮎ですか?」「いやあ、まだ色が変わっとらんから落鮎じゃあねえが、子を持ってよう太っとるんで、掛かればじゃけどなあハハハ、」と笑いながら準備をしていた、、、。遇うことが少なくなって、歳を取られたのかと心配していたが、これならまだまだ大丈夫。掲句は昨年の老釣師、、、。(2013年秋詠)
秋蝉のなんなく捕れてすぐ逃がす
これも昔の作品です。涼しくなりましたね、、、。(1999年秋詠)
紙器工場夜業の窓にラジオ鳴る
これも初期の句です。見るもの聞くもの何でも新鮮で句になっていた、、、。秋になると少し遅れると日暮れて帰ることになる。通勤途中にある紙器工場はその時間帯にはいつも明かりが点いていた。開け放った表戸のすぐ奥で古びたプレス機が動き、窓辺ではラジオが大きな音をたてていた。人影を見ることはほとんど無かったが、たまに見るのはいつも同じ中年の男性だったから、一人だけの工場だったのかも知れない、、、。(1998年秋詠)
これ見よと茸通路の真ん中に
備中国分寺の南側の駐車場から五重塔へ行く最後の上り坂の通路の真ん中に生えていた茸です。ちょうど坂の途中で目に付くところだからでしょう、通路の真ん中にもかかわらず踏まれずに立派に傘を開いた茸でした。食用?なら良いのですが、、、。(2011年秋詠)
モノレール千里の秋へ滑り出す
初期の作品です。中国道を走っての大阪出張、吹田近くになると見られる大阪モノレールの風景です。そう、千里は大阪の千里です。伊丹発着の飛行機が見えて、モノレールが見えて、万博公園の太陽の塔が見えると吹田出口、「やれやれやっと大阪」と思ったものですが、今となれば出張も懐かしい、、、。(1998年秋詠)
秋分や日向日陰のはつきりと
そんな感じがしませんか。日向は暑くても日陰に入ると急に寒さを感じますね。いよいよ秋が深まります、、、。(2013年秋詠)
宅配の一声響き梨届く
ずいぶん昔の作品です。当時この辺りで梨と言えば鳥取の二十世紀梨、そんな頃にこちらのほうが美味しいよ、と届いたのが品種は忘れましたがこの梨です。確かに、、、。今はいろいろな梨が出回っていますね。梨に限らず果物の美味しい季節です、、、。(1998年秋詠)
稲架襖残る山路のバスの旅
先日稲刈りが遅れていると書きましたが、始まりましたよ本格的に。と言っても今はコンバインですから稲架を見ることはありません。掲句は町内会の慰安旅行で、県境に近い山村で見かけた稲架襖の景です。以前は県境を越えて鳥取県に入ると、何段もの高い大きな稲架が建っており、バスガイドさんがその説明をしてくれたものですが、今はどうなのでしょうか、、、?今は昔、俳句を始めた頃にはこの辺りにもたくさんの稲架が見られました。朝の霧の中に幾重にも重なっている稲架襖はまるで水墨画のようでした。それを見ながらの徒歩通勤でした、、、。(2012年秋詠)