舞ふ雪の風に礫となる夕べ

立春とともにやってきた寒波で今日(五日)は朝から雪でした。落ちては融ける、明るくも寂しい雪です、、、。掲句は昨年の雪、雪ぐらいと油断して傘を持たずに出た夕方の散歩、途中から五百円玉ほどもあるような牡丹雪に変ってしまいました。おまけに風、こうなると大変なんです。眼鏡に頬に、容赦なくぶつかって来ます。痛いというか冷たいというか、、、。(2013年春詠)

如月や口縁薄きティーカップ

普段はコーヒーだろうが紅茶だろうが同じマグカップで、サッサと淹れてサッサと飲んでしまいます。もちろんティーバッグはカップに入れたままです、、、。午後の紅茶と言うと何やらCMのようになってしまいますが、たまにはと思い取り出した年代物のティーカップ、テーブルの上の午後の光に、湯気がゆっくりと揺らめいています。縁から下がったティーバッグの紐さえも絵になるようです、、、。(2013年春詠)

春光のまぶしき朝のにはたづみ

だいたい雨上がりの天気の良い朝は眩しいものと決まっていますが、早春のそれは特に眩しい気がします。ちょうど山の上に朝日が顔を出す頃に、東へ向って歩く散歩コースは、アスファルトの道も、道に出来た水溜りも、空気までもが輝いて見え、目を細めても追いつかないぐらいです。特に最近、、、と書きかけて気付きましたが、これって視力の衰え、、、?(2013年春詠)

節分や吹きつさらしの刃物砥

今週はまた真冬の寒さが戻ってくるとかで、そう簡単には春はやって来ないようだ。掲句の年の節分は寒風吹きすさぶ寒い日だった。近くのショッピングセンターの前にテントを張り、いつもの刃物砥が来ていた。包丁、鎌、農具等々、所狭しと並べられた商品の奥にグラインダーを置いて、年老いた男が包丁を砥いでいる姿はいかにも寒そうだった、、、。中学生の頃だったか、大きな自転車の後に砥石やもろもろの道具を載せて家々を回る刃物砥を何度か見たことがある。やはり(中学生の目から見ればかも知れないが)老人で、自転車のハンドルには足に紐を付けたペットのカラスを止まらせていた。なぜかその刃物砥とカラスの組み合わせが、絶妙に感じられたものだった、、、。(2012年冬詠)

赤屋根の蒲鉾牛舎冬鳶

出張で大阪へ向けて中国道を走っている途中、播州平野に差し掛かった辺りで、遠くに赤い蒲鉾型の数棟の建物が見えた。そのはるか上空には鳶の姿があった。脇見運転をしていた訳ではなく、どちらも遠くの、ほんの僅かな時間の映像ですので、ほんとに牛舎(?)と言われると返す言葉はありませんです、、、。(2000年冬詠)

旧正の餅と届きぬ父の文

気が付けば今日は旧暦の元旦、歳時記では旧正月は春に分類されているが、今年のように冬の間に来ることもある。掲句も句稿によれば冬に記録しているので早かったのだろう。あるいは俳句初心者の頃で、そこまで気が回らなかったのかも知れないが、、、。実家は田舎の古い家だったから、子どもの頃から正月は新旧の二回祝った。そんな訳で家を出て所帯を持った後も、旧正月前には実家から餅が届いた。実家ではそんな事はすべて父の仕事だったので、いつも父の手になる何がしかの手紙が添えられていた。この頃からだったろうか、父が修正液を使い始めたのは、、、。(1997年冬詠)

窯出しや乾ききつたる炭の音

遠い記憶の中にいくつか、祖父の炭焼の場面がありますが、その中の一つが窯出しの場面です。真っ赤に燃えていた炭窯の焚き口に、練った赤土を塗って火を止めます。それから何日後だったでしょうか、窯出しが始まります。窯に入るとまだ暑いぐらいの熱が残っています。その暗がりの中に長さ1メートルほどの焼きあがった炭が整然と並んで立っています。それを壊さないように一本ずつ運び出すのですが、完全に水分の抜けた炭は結構硬く、炭同士が触れるとなんともやさしい金属音がするのです、、、。(2001年冬詠)

初はやて自転車の子等前傾す

昨日も今日も俳句を始めた頃の句、見るものすべてが新鮮で駄句をたくさん詠んでいた。掲句、突然吹いて来た風に、自転車通学の男の子たちが一斉に前傾するのを見た時の句です。今となっては「初はやて」は疑問ですが、まあ良しとしましょう、、、。(1998年冬詠)