どこの神社に行っても何となくパワースポット的な感じがして、身が引締るような気がします。大きな楠木も付き物でよく眼にします。大きな楠木の上には梟が住んでいたりするのですが、昼間はいたって静かな梟は眼を閉じてうつらうつら、狛犬に木洩れ日がゆれていたりするのです、、、。夜は一転、行くのを躊躇してしまいます。狐が住んでいるような噂や、その狐に若い娘さんがだまされたような話を、土地の古老はまことしやかにするのです、、、。(2003年夏詠)
投稿者: 牛二
なんとまあ玄関先に蛇の衣
昨日の青大将は散歩に行く河原の主のような蛇です。こちらは我家の玄関先、、、。昔から毎年現れるので、どうも先住権を持っているらしい。30Cmほどの薄茶色の蛇です。捕まえて、ちょっと離れたところに捨ててくるのですが、同じものかどうか、またしては現れます、、、。それが、あろうことか玄関先で脱皮、、、。(2011年夏詠)
女房の二の腕ほどの青大将
この辺りでは「ネズミ捕り」と呼ぶ人が多い。その呼び名の通り鼠を捕るので、嫌われる蛇の中にあっては位が高い。大きいものだと2メートルぐらいになる。太さは掲句の通り、、、。(2008年夏詠)
絵に描いた形のままに守宮死す
工場にはいろいろな生物が住み着いていた。大きいものでは鼬、鷺、ヌートリアも見たことがある。青大将、鳩、鴉、鶺鴒、雀、雲雀、蝙蝠、鼠。小さいものに団子虫、そして守宮がいる。守宮は多くはないし、どちらかというと隅っこのほうが好きなようで、目立つ存在ではなかった。ある日倉庫の隅の段ボール箱をどかすと、隣り合っていた段ボール箱に張付くようにして干からびた守宮の死骸が出てきた。いきなり段ボール箱に命を奪われたのだろう、まるで何かの絵に出てくるような身体を少し曲げ、四肢を踏ん張ったままの姿だった、、、。(2009年夏詠)
拭きあげしビールグラスや麦の秋
「グラスはねえ、拭いちゃあダメよ。熱いお湯で洗ってね、そこの布巾に伏せといて。そうするとね、曇らないのよ。曇ったグラスは嫌でしょ」と、旅館でバイトを始めた最初に住み込みのお姉さんに教えられた。この日から洗い物をすると必ずこの事を思い出す。思い出しながら、拭きあげたグラスを棚に戻している、一人の土曜日の昼、、、。(2011年夏詠)
青年の一人弓引く青葉冷
近くに作楽神社(さくらじんじゃ)がある。神社は明治時代に創建されたものだが、古くは児島高徳の故事で知られる院庄館跡である。時々思い立って出かける私の吟行地でもある。その神社の社務所の裏手に弓道場と言うにはお粗末な、広場の端に土塁を築いただけの弓の練習場がある。休日の早朝、境内を歩いていると、矢を放つ時の小気味良い音が聞こえてきた。見ると、一人の青年が袴姿で黙々と弓を引いている姿があった。他に人の姿は無く、たった一人で姿勢を正して弓を引くその姿は、矢の放たれる音と相まって、見ているだけで身が引締るように感じられる光景だった、、、。(2012年夏詠)
夏燕速度落とさず路地抜ける
いつもの通い道の、家一軒分を近道する路地です。路地を抜けると国道、すぐ目の前に信号があります。赤信号も燕には関係なく、路地に入った速度のそのままで、一気に国道を渡って行きます、、、。燕は好きな鳥の一つです。句にもなり安いので、やたらと同じような句を詠んでしまいます。そんな句の一つです、、、。(2003年夏詠)
新緑の底の天竜下りかな
当時所属していた結社のネットでの題詠で作った句、憧れの天竜下りです、、、。(2003年夏詠)
樟若葉碑古りし陣屋跡
地元ではないこともあるし、住んでいながら知らないことが多い。だから地域の共同作業の時などに古老が話してくれる古い話には興味深く耳を傾ける。たいていが物知りが一人居て話すことを、他の数人が補足し、私のような他所から来たものが頷きながら聴く、というパターンで進んで行く。神社の狭い境内から見上げる楠木の若葉がまぶしい、、、。(2003年夏詠)
神主の白緒の雪駄夏きざす
神主を呼んで、そこらじゅうにある神棚の御幣を新しくしたり、祝詞をあげてもらうような行事があった。子どもの頃の記憶にあるだけで、母に言われて思い出したが、父が亡くなれば当然私に回ってくる訳で、私が神主の相手をすることになる。やって来た神主は私と同世代だろうか、挨拶もそこそこに羽織を脱ぎ、袴姿で準備に入った。御幣用に用意しておいた竹を切ったり、半紙を切ったりと汗をかきながらの作業が続く。その間に世間話が入る。「お父さんにはずい分お世話になりました」と神主、「そうですか」と私、から始まってひとしきり父との思い出話や地域の話が続いた。作業が一区切りつき話にもほんの少しの間が出来た。すると突然、「私の事、忘れられとるでしょうね。おわかりになりませんか?」と神主、「えっ?」「ほら、小学校で一年下で、中学校の時同じ部活でお世話になった○○です」私は思わず絶句し、目の前の現実としての神主と、まき戻した記憶とを整合させるのにはしばらく時間が必要だった。そうだ、彼は神主の家の息子だった。その彼が神主になっていても何の不思議もないのだった、、、。(2003年夏詠)